若者のカルチャーを冷たく暖かく掴む、「チル(chill)」という見えない本流に浸る。

ご無沙汰しています。はいどうも。

繁忙期が重なって身動きが取れないことってあるよね。そんな数週間でした。

本業ではマーケティングや、オンライン上で展開する自社サービスの事業戦略、それも思いっきりToCサイド(つまりは一般消費者向け)にあれこれ企画をする人だったりするのだけど、今日はその辺の話をする。

ちょっと前にわたしのいんたーねっつ、つまりはマーケター仲間やTwitterのタイムライン上で、「なぜ大人たちは”若者文化”を毎度毎度ミスキャッチしてしまうのか」というのが話題になった。

この問題については自分も耳とかお腹が痛く、つまりは若者をターゲットにしたコミュニケーションデザインにおいて、「ミスキャッチちょいイタおじさん作品」に陥らないように常に気張ってアンテナを立てていて、つまるところ自分の担当するクリエイティブやマーケティング戦略に「インスタ映え」やら「平成最後の」やら「卍」やらを無思考でくっつけないように必死にあがいている。そんな30さいのおじさ、お兄さんである。どうもこんにちは。

そのために何を頑張っているか、もちろん情報収集は他の人と同じくらいには頑張っているものの、個人的に重要視しているのはリアルな学生・若者との対話の場だったりする。

自分の身の回りにはこういう年下のネットワーキングがあんまりない人が多く、情報戦においては実は自分が優位に立てたり、効果のある仮説を持っていくことができていたりする。本当にありがたい。

イマドキの学生たちとの対話の場

じゃあそんなのどうやって頑張っているのか、というと、自身が学生だったころにいろいろお世話になったNPO法人のアドバイザーとして日々一緒に学生たちと企画や組織運営、社会と彼らの間にある問題や課題感、悩みの言語化と解決にアタマや時間をつかっていたりする。

このNPO法人は、対学生に対しては「マーケティングや広告の前線でマジメに(←ここ大事)戦っている大人たちから企画づくり、運営のイロハを教わる」という4ヶ月間のカリキュラムで提供されている。(今期分は締め切ってしまっているけど、もし興味のある学生さんがいたらご一報ください)

組織やプログラムの運営と企画も学生が行い、毎年7−12月にかけて開講される。運営も受講生としての参加も全て学生が運営し、むしろ社会人は彼らに上手く使ってもらう、という関係性で成り立っている。

今年のテーマは「”らしさ”を描く」というもの。このテーマも毎年学生自身で決める。

前回は「ワーク&ライフ 30年後の働き方を創造する」、その前はそれぞれ「今、問い直すコミュニケーション」、「人と技術のこれからを問う」など、非常に切り口も鋭く、いい年こいた大人であっても尻込みしてしまうようなテーマを社会に向けて問うていくという活動になる。これがもうかれこれ今年で過去15期も開催され、卒業生は300名を超え、各業界でいまも楽しそうに活躍している。

このイマドキな彼らなりの問いについて、社会に向け、あるいは自問自答して、そのこたえを探求する、そんな何ヶ月間を共に過ごさせてもらっている。

普通の大学生との対話で感じた「”さめ”」

「最近の若いやつらは・・・」

「イマドキの若者は欲がなくてわからない」

「彼らはミレニアル世代ですので・・・」

なんていうやりとりが企画会議室や、コミュニケーションデザインの担当だけでなく、オフィスの日常や、会社の飲み会でも聞こえてきたりするのではないだろうか。

まぁ、問題はない。きっとその場に当事者たちはいないのだから。

最近の若者(10代後半から20代半ば頃まで)を表すなら、「少しさめている」というキーワードが一番しっくりくるのかもしれない。

ただ、これはその前時代の人々の熱量が、少し強すぎたからだとも思う。

いわゆるモーレツ世代というやつだ。ちょっと詳しく、過去に書いたりしたの気になったら。

【参考】企業戦士から社畜、そしてブラック企業へ。「モーレツゥ思想」に気を付けたほうがいいよね

ここで「さめ」をあえてひらがな表記にしているのは、この単語にいくつかのニュアンスが含まれていて、それらがうまい具合にイマドキを説明する機能を持っていたからだ。

1.若者の「冷め」

最近の若者は熱くならないのかもしれない。

というよりは、高度経済成長を通して、量的な労働や生産が、そのまま豊かさにつながった時代を生きた人たちよりは、よっぽど熱くはならない。

なぜなら「ハマること」や「盲目になること」のコスパが大きく下がったからだ。

インターネットネイティブな彼らにとって、常に誰かと何かと自分とを、比較検討し監視し続けることがライフスタイルとして自然になっている。さらに言えば、SNSによりマイクロコミュニティの生存確率は大きく跳ね上がっているし、#ハッシュタグ の文化により、新たな価値観やイベントやマイクロコミュニティを探し出し、深く掘り下げて理解を追いつけることは容易になった。

LINEグループ、専門垢、フォロワー数、いいね数、彼らは我々オトナ世代に比べてはるかに多くのパラメータをモニタリングしている。

その結果、彼らには自然と「他者容認」の思想が、その上の世代に比べて強く根付いた。

「あなたはあなた、わたしはわたし」として適切に距離をとるそのスタンスは、もしかしたら我々オトナ世代からすると、「空気が読めない」ように映るのかもしれない。

彼らはむやみに我々オトナ世代の文化や価値観を攻撃するようなことはない。

それは決して「大人の慣習が正しいから」ではなく、彼らにとって「容認するが、興味がなく、所属はしない別の文化だから」だ。

2.若者の「覚め(醒め)」

現在の若者たちは、一方で無気力ではない。

それは「覚め(醒め)」ているからだと感じている。

彼らは常に面白いものを探しているし、為になるものを探している。

彼らには探す手段が整っており、10年前とは比べ物にならない情報量を取り扱うことができる。

インターネットが出てきて、多くの人が情報を受信する一方で、また多くの人が情報を発信するようになってきた。Twitterやブログなどで、いろんな人たちが自分の人生をネット上にログとして残す。

それに自由に触れられる彼らは、ある意味壮大な“ネタバレ”の食べ放題にいる。

結局のところ、現在の若者たちは会社員生活に期待を持ったり絶望したりをほとんどインターネットや(一部)TVのプログラムなどから仕入れたりする。就職活動などで言えば「ブラック企業」だとか、「キャリアパス」とか、「残業の量」とか「休みの取りやすさ」なんかをめちゃくちゃに調べまくるし、知りまくる。

なので、彼らは、人生の割と大きな意思決定においても、ある程度答えを持っていたりする。

冒険者というよりは、絶望者と興奮者、あとは多くの”こんなモンかな勢”で構成されていたりする。そうすれば、ある程度自身の人生に熱狂しなくなるのは想像に難くない。

人生のネタバレ。その仕入れは結局その後も続くので、彼らは綺麗にデザインされたりラッピングされたり、甘くコーティングされた外側だけではなく、かなり現実的に、リアリティを追求したりする。

そうなるとそこに「目を瞑る」判断など存在しない。かれらは目を大きく開けて、あくまで理性的に物事を判断したがっている。

「chill(チル)」という概念

そのなかで、どちらが因果のそれなのかは定かではないが、よく「チルアウト」「チルい」なんて言葉を聞くようになってきた。

チル、もとはchill、自動詞で「リラックスする、ダラダラする、ゆっくりする」という意味で、ここでいう 「chill out」も同義。

落ち着き、熱かった体や感情が冷める、リラックスするといった意味合いとのこと。

物理で言えば放射冷却のような、あるいは気化熱のような現象のことを言うと近しいのかもしれない。

何かによって落ち着きや、リラックスを得ることが、大きなライフスタイルや価値観の根底に流れているように感じた。

それはこの「チル」というキーワードを知っていてもいなくても、同様にこれをよしとする価値観を強く印象付けられた。

その年代に聞かれる音楽には、音楽性と同じように歌詞も文化が反映されていたりする、なんていう持論ではあるけれど、音楽のシーンからもマーケットのことを学ぶ機会は多いと思っていて、たとえばよく耳についたアーティストの歌詞なんかを適当に引っ張ってきても、この少し醒めきった感じや、諦観のようにも見える独特の雰囲気が感じられるかもしれない。

錆びた弦で良い 破けたジーンズで良い 孤独な夜が あっていい 何も無くても 笑えていればいい 何も無くても 歩けさえすればいい

周波数を合わせて 調子はどうだい? 兄弟、徘徊しないかい? 空白の何分かだって その苦悩や苦労を Blowして踊りたい

バラの花もないよ 汚れてるシャツに履き慣れたジーパンで 愛を伝えたいだとか 臭いことばっか考えて待ってても だんだんソファに沈んでいくだけ 僕が明日良い男になるわけでもないからさ 焦らずにいるよ 今日は日が落ちる頃に会えるの?

オトナの世代からしたら、高校生、大学生なんて「一番やんちゃで無邪気で元気や勢いがあるはずの年代」かもしれない、かもしれないが、今の彼らはそうではない。

彼らは情報を仕入れ、共通の感覚や価値観を持ったコミュニティに遠隔で所属し、そのなかで落ち着きや自身のアイデンティティを形成していく。大人が社会に出た後にするのと同じように、彼らも未来を考えたり、知ったり、繋がり、悩んでいる。

我々のその頃とは、まったく違った環境にいて、全く異なった価値感覚を持っている。

ただ、マーケティングや教育、社会制度などがそのイマドキの現実と断絶しているだけなのだ。

その上で我々が立ち向かうべきは「チルの谷」。

とはいえ、近年になって、若年層を中心に盛り上がり、なかには熱狂的なエンゲージメントを見せる文化やムーブメント、タレントもある。

たとえばハロウィン。盛り上がり方については賛否両論があるものの、ここ数年でバレンタインに対して伸び率で大きく逆転している。

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いかに「さめ」た年代とはいえど、新たなブームを作ることは可能であり、むしろ彼らのいる環境においてはテーマがニッチになる一方でインターネットやスマートデバイスを中心に接触時間を大きく引き延ばすことができるため、接点をしっかり設計したりメディアや消費者行動を有効に活用することで、エンゲージメント深度を強化することが可能になる。

この”チルの谷”をいかに超え、熱狂や盲信を作っていくか、がすべての人に対して試されているように感じている。

少なくとも、新規性のなさや、圧倒的な体験へのインパクトがなければ、なかなかに熱狂を作り出すことは難しい。

そのため、ビジネス設計や認知のポジショニングについては引き続き重要さは言わずもがなだが、彼らの選択眼にしっかりとハマり、この「チルの谷」を超えていけるようなストーリーテリングや、インパクトの提供が、今後のマーケティングのお仕事の中枢に来そうだなと、そう思ったりしたわけです。

明日からもがんばっていきましょう。

なんつって。

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