サービス設計としての「お金をくれない人はファンじゃない」議論について考えてみた

hi,do-mo.

ということでお昼ですね。お昼ご飯食べられないのであいた隙間に気になったテーマについてちょろっと書いてみます。

論客ですね、論客でしたっけ?まぁいいや。

お金を出してくれない人はファンじゃない論

あるよねー、あるある。

発端ははあちゅうさんから。

このPostに対して、まぁそれは各界さまざまな方が同意したり反論したり、そしてそれはいわゆる「巷のファン」と呼ばれる人たちにも及んで議論がなされています。(議論の体を為しているかはまた別として)

個人的には、これは「整理整頓したら意外と片付く系」の話題だと思って、いろんな人たちの意見をみているところ。

序列化の正当性に走ったはあちゅうさんと岡崎体育さん

続けてこういうことも言ってまして、つまるところ「生きるため」の制作活動を助けてくれる、要はGive&Takeやねんと、Win-Winやんけ、と。

理解できる、理解できるぞう。

また、これをより体現しちゃったのは岡崎体育さんのbitfanというファンクラブの仕組み。

岡崎さんが同日に発表した「bitfan」は、“ファンの熱量を可視化する全く新しいファンサービス”として始動。

ファンクラブ会員が、コンテンツの閲覧やグッズ購入などのアクションを起こすことでポイントがたまる仕組みとなっており、ポイント数で分けられたランクによって、2ショットチェキや握手などの特典を受けられるようになります。

http://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1802/04/news025.html

だそうで。

アクション(貢献)によって、ユーザーを明確にクラス分けしますよと記載がある。

これに対しては、たとえば「会いに行ける」と話題のアルファベット3文字系のアイドルでいうと「握手券」というお金を出して得られる手形を発行しておりますが、購入数などではサービス提供内容(質)は変えず、あくまで大量課金(≒CDいっぱい買う)すれば「何票も入れられるよ」「何度も握手できるよ」という量的なメリットを提供しているということになる。

つまり個人ベースでの傾斜やクラス分けによる接触の仕方の変化はシステムに採用していない。

ふむふむ。

いわゆるマーケティング担当として、いろいろ思いましたとさ。

ちょっと問題を要素分解する

その前に、ちょっとごちゃついてるのでチョリっと整理したい。

「ファン」って誰が言うの論

まず「ファンと呼ぶ」のはだれかという前提違いもある。これ結構見過ごされてね?って思ったんだけどどうなの。

有名な人が呼ぶ「ファン」と、ファンたちが自分たちで名乗る「ファン」は、たぶん結構違う。というかこの議論が生まれたのもここにあると思ってる。

・有名な人側が呼ぶ「ファン」

「自分を応援してくれていて、且つその応援が自分にメリットになる人」

このメリットがお金だったりやりがいだったり完全に認識する側の主観だったりするので、ここも混同しないほうがいいね。

でも広義にとらえれば「ビジネスパートナー」とか「パトロン」とか「支援者」みたいな、取引先チックな要素も包含しているのかもしれないね。

・応援する側が名乗る「ファン」

「好きな人、もの、グループがあって、それを応援するためにそれなりに頑張れる人」

名乗る側のファンには、「それなりに頑張れる」のところに主観による変数がいろいろありそう。実際に金銭での応援だったり、遠くまで遠征に行ったり、テレビの前に座ってたり、強く想ったり、ナンダリカンダリ。

これはそれぞれ他人に定義されるものじゃないんだろうなあ。その不可侵条約を壊したので、今回の騒動が生まれたと思われる。

議題の再整理

あと、議題も分散してたように感じる。

「お金を出してくれる人たちを序列化して優遇するのはいいのか」

「お金を出さない人と出す人を分けていいのか」

「お金を出さない人をファンと呼んでいいのか」

とまあ、こんな感じですかね。

うーし。

「ファン」の定義について

結論から言うと、有名人側からして”ファンの定義”の提示は完全に「言わんでいいこと」だったと思う。でも、同時にそういう見方を持つこと自体はとても大事だと思っている。

というのも、サービス提供者側にはもちろん利用頻度や科金額みたいな数値を基に、顧客をロイヤリティとしてクラス分けして管理・育成していくのが一般的に正しい成長戦略であるからだ。

ほかの選択肢があるなかで、自分との接触を選んでもらうんだったら、それぞれの顧客のステージごとに最適な施策を投じて育てていく必要がある。いわゆるCRM(Customer Relationship Management)てやつですね、超ダイジ。

でも上記したとおり、ファン側からすると、「自身をファンと名乗る」という自由はあって、それは有名人側に定義されるものでもないと感じている様子。なのでいろいろファンの人たちは「残念」とかになってしまったんだと思う。

まぁわかる。ファンであって会員ではないし、応援することになんの制約も規定もないもんなあ。

いてくれて困るモンでもないので、普通は「言及せず」の領域だったんだろうけど、はあちゅう氏はここに「腹立」ってしまったんだそうです。鬼忙しそうだもんね。

課金額による序列化

これも表面的にいう必要は本当にゼロだったと思っている。

ただ顧客育成における施策的なアプローチはありだと思う。

そういうのを煽って盛りあがてくれる、なんというか投げ銭的競争をエンタメとして受け入れてくれるようなファン層だったら、まあアリなのかもしれないけど、周りからの見え方とかに耐えられないのであれば、有名人側は表現すべきではなかった。

※個人的には超面白いと思うけどね。課金しないけど。

サービス提供者が「もっと払って」とユーザーに言うこと

マーケティング的な観点でいうと「値上げできるサービス(ブランド)は強い」っていう理論があるんだけど、まさにこれって消費者に提供できてるサービスがめちゃくちゃにエンゲージしまくってる前提じゃないといけない。

なぜなら顧客の投下できる金額が有限であるからだ。

オリエンタルランドの運営する東京ディズニーリゾートさんだとか、Amazonが提供するスーパー便利生活よくするサービスAmazon primeとか、そのレベルでユーザーのマインドに入り込めていないとより高い金額を要求するのはムズカシイ。

サービスの値段=価値なのはいうまでもないし、サービスは営利ビジネスなのでユーザーの離反と収益増加がトレードオフになる。

ユーザーが逃げない(逃げられない)サービスというのは、めっちゃ強い。AmazonやGoogleっていうのは、めっちゃユーザーファーストに見えて、引くほどビジネスがうまい。

問題はそれを口にできるか

はたして、SNSでのプレゼンスがちょっとあるとか、いい音楽をする人たちが、その生活の利便性に「値上げ競争」で勝てるんだっけ?でいうと、個人的にはその勝負に乗るべきではなかったと思う。

そもそも彼らのコンテンツや提供価値は代替されがちだったり、無料公開されがちなので、まだ全然勝負するステージではなかったと思う。

(価値がないとか比較して多い少ないの話ではなく)

最終的に、ビジネスとして一番いいのは

結局、ユーザーの定義に寄り添って振る舞い、ただ収益の算段として顧客ロイヤリティについてはしっかり設計すること、である。

データを取り扱うことも、分析をすることも、それを基に接触の仕方を変えていくことも、なにも悪いわけではない。

ただ、正しいんだけど感情的に反発を招く、そうすると顧客から利益を回収する有名人サイドもおいしくない。

なので、感情的になって「金を払わないファンはいらん」というのは、全体最適において漏らすべきではなかった、と思う。

じゃあどうすればよかったか?

あざといんだけど、

・提供できるリソースがシビアであることを伝え

・共感や応援を得たうえで

・値上げ、ないし有料の接触地点を持つ(というか無料枠を徐々に減らしていく)

これですね。

でもまぁ、仮に「イメージ崩しても課金してくれる人たちだけで全然生活できるっす。マジで無課金ユーザーがノイズなんス」っていうレベルだったら、反発を招くも何もなく今回みたいにブッコんだらええねんな。

なんつって。

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