東京大学教養学部で語られたインターネット時代の”教養の本質”

みなさんこんにちは。

天気がよくなるにつれてイカれた連中(花粉)たちも元気になってきたようでして、最近は花粉症も頭痛に発展して参りました。
どうも火曜日です。
点鼻薬が効きすぎて怖い。そんな21世紀、3月。
自分は働き始めてからはやくも5年が経とうとしており、地元ですでに親になってたりするメンツと比べると、まだまだわりとガキみたいなテンションで生きている。

まだまだ自分のことで精いっぱいだし、自分の将来みたいなものに投資もしたい。仕事も楽しいし外で食べるご飯もお酒も美味しい。

ガキみたいだとはいえ、でもそれは学生であることでもない。

そう気づいたのは、周りが卒業式シーズンだったことに今さらになって気が付いたから。

ご卒業しましたみなさん、おめでとうございます。

自分は結構情報オタクで、割とびっくりされる量と頻度で情報と触れまくりんぐしており、ニュースや話題には敏感なほうだとおもっております。

ただまぁニュース、それもネットのテキストコンテンツなんてほとんどが一過性のものですし、信憑性も微妙なとこですし、触れる9割くらいは一度しか観なかったりするわけですが、残りの1割については「二度見たい」、いわゆる名文だったりするんですね。

この名文、入社式のあいさつよりも、実は大学の卒業式の方が示唆に富む内容が多かったりして、毎年楽しみにウォッチしておるわけです。
というわけで、今年は東京大学の卒業式から、割と昨今の時事ネタなんかも入れつつ最高に素晴らしいことを言っていたのでご紹介したい次第。

卒業生だけでなく、現役の学生にも、現役の社会人にも読んでほしい。

全文はコチラ

平成27年度 東京大学学部入学式 教養学部長式辞

http://www.c.u-tokyo.ac.jp/info/about/message/oration/

◆情報の真偽と善意/悪意は関係がない。

“そうした情報の発信者たちも、別に悪意をもって虚偽を流しているわけではなく、ただ無意識のうちに伝言ゲームを反復しているだけなのだと思いますが、

善意のコピペや無自覚なリツイートは時として、悪意の虚偽よりも人を迷わせます。”

その昔、チャゲアスも言ってた、「丸い刃は、尚痛い。」(?)
たとえの内容はともかく、流した人が本当だと思ってたら、受け取った人はだいたいそれを本当だと思ってしまう。これは対面ならまだしも、Social networkという希釈拡大された関係性において、そのリスクがどんどん顕在化しているという現状があります。

人間の脳や精神には紛れもなくキャパシティがあり、この上限を超える処理はなるべくなら行いたくないし、意識の外側にいってしまい無意識化に行われないことも多々。
情報社会の拡大と深化における課題の一つとして、人間側の処理がそれと同じように進化していない、ということがよくありますけれども、「真偽を疑い」「検証する」といった心理的にも体力的にもコストのかかる所作を、我々はしたくてもできないわけですね。

◆教養の本質とは。

そして東京大学の先生はこうおっしゃってるわけですね。

“しかし、こうした悪弊は断ち切らなければなりません。

あらゆることを疑い、あらゆる情報の真偽を自分の目で確認してみること、必ず一次情報に立ち返って自分の頭と足で検証してみること、この健全な批判精神こそが、文系・理系を問わず、

「教養学部」という同じ一つの名前の学部を卒業する皆さんに共通して求められる「教養」というものの本質なのだと、私は思います。”

疑うこと、問いを立て、それを検証し、明らかにすること。この筋道こそが教養であり、それを体得するのが教養学部での大学生活だったんでしょう。

◆インターネット情報時代で正しく生き残る

情報の正誤と善意悪意は直接的に関係がない。とされると、その情報に対して何らかの意思決定や、印象、判断をするとなると、最終的には自分の責任でものを言う必要があるわけです。
個人的な話で大変恐縮ではあるんですが、自分の働いている業界においても、2016年から2017年にかけて、この情報との付き合い方や、その正しさを判断するリテラシー、そしてそこに巣食ういけ好かないビジネスの話題が大きくあったと思います。
発信者からも受信者からも、正誤というフィルターを除外してお金が儲かるビジネスが跋扈し、今一度メディアで情報を発信する企業やGoogle・Facebookといった情報をデリバリーするプラットフォーマーが、この辺を見直すわけですね。
一方で、その責はユーザー自身にもあるとは思っており、それこそ先生の言う教養が、機能されておれば、と思うこともあったやもしれません。
(同時に、その情報発信源の価値が皆無に帰すわけだけれども)

◆自分を燃やし尽くし、灰の中から新しく生まれ変わり続けよう。

そしてあいさつでこんなことを言われております。

“私は大河内総長の「痩せたソクラテス」でもなく、濱田総長の「タフでグローバル」でもなく、自分自身が本当に好きな言葉を皆さんに贈って、この式辞を終えたいと思います。
それはドイツの思想家、ニーチェの『ツァラトゥストゥラ』に出てくる言葉です。
きみは、きみ自身の炎のなかで、自分を焼きつくそうと欲しなくてはならない。きみがまず灰になっていなかったら、どうしてきみは新しくなることができよう!
皆さんも、自分自身の燃えさかる炎のなかで、まずは後先考えずに、灰になるまで自分を焼きつくしてください。

そしてその後で、灰の中から新しい自分を発見してください。自分を焼きつくすことができない人間は、新しく生まれ変わることもできません。

私くらいの年齢になると、炎に身を投じればそのまま灰になって終わりですが、皆さんはまだまだ何度も生まれ変われるはずです。

これからどのような道に進むにしても、どうぞ常に自分を燃やし続け、新しい自分と出会い続けてください。

再スタート、この言葉に自分はネガティブな印象を(あまり)持ちません。

間違ったことは経験になり、知識になり、次に間違わないための糧にできる。
自分を燃やし尽くすほどの渇望や理念において、過ちも誤解もプロセスとして許容できる範囲は、思うほど狭くはないのかもしれない。

(もちろん、よくない行為を擁護するつもりはまったくありません。これだけは誓って。良くないことは良くない。まずは償うことから)

そういう意味で、こんな出来事にも、きっといい方向にいくであろう(いってほしい)と期待しております。

“DeNAは広告やマーケティングといった領域で知見のある「大人」に事業継続の可否までを委ねることで、社外とのコミュニケーションも含めて交通整理をしていくということだ。MERYの再開は未定だが、スタートアップとして運営してきたペロリ社が大きく変わることは間違いない。”

http://jp.techcrunch.com/2017/03/27/peroli-ebata/


やりたいこと、そのやりかた、そして出来上がったもの。その3点が上手く揃うような2017年になりますように。

これはすべての人に向けて、そして何より今の自分に向けて。
来年度ももうすぐ。がんばっていきましょう。

“もちろん、いま私が紹介した言葉が本当にニーチェの『ツァラトゥストゥラ』に出てくるのかどうか、必ず自分の目で確かめることもけっして忘れないように。もしかすると、これは私が仕掛けた最後の冗談なのかもしれません。”

最後の最後までウィットに富んだ茶目っ気。最高ですね。

なんつって。

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