「2回目の検索をしなければ安心できない私たち」を生んでしまった私たちの懺悔を聞いてくれ。

風邪をひきました。これにより僕がバカでないことが証明されましたね。

「ねえねえ嬉しい?馬鹿じゃない部下嬉しい?」って上司に聞いたら「体調管理をちゃんとして帰って寝てろバカタレ。」と言われました。

上司は寝てろと言いますが、仕事が寝かせてくれません。

どうも、風邪をひくタイプの馬鹿こと高橋です。

肉を喰わせて育てた後輩(謎)のりょかちちゃん(https://twitter.com/ryokachii  )が頑張って記事書いてました。

2回目の検索をしなければ安心できない私たち

おっきくなったのう。

育てた、とか偉そうに言ってますが、こいつはほんとにいわゆる「ミレニアル世代」で、スマホの弄り方とかTwitter/Instagramのふるまい方が何から何までおっさん(28歳独身)の自分とは違って超勉強になるのであります。いつもありがとう。

飲み会でいきなりInstagramのStory機能を使い始めたときはホントに戦慄しました。「こ、これが21世紀…ッ」

そして対検索マーケティングを担当としている自分として、この文章は特に思うところがあるので、出社したばっかりだけど思ったことを書く。(会議一個やってめし食べた。)

りょかち、めっちゃ名文書いてる。イイヨイイヨー。

何かを消費する時、“2回”検索することが当たり前になろうとしている。

何かを消費する時、“2回”検索することが当たり前になろうとしている。

一回目は、「ほしいものの候補を探す検索」。
“世の中に「神楽坂 和食」のお店はいくつあるのか?”
“世の中の「リュック ネイビー」にはどんなモノがあるのか?”
“「今週 映画」だとどんなものが観られるのだろう?”
ということが知りたくて検索窓に尋ねる。

そこから私たちは、2回目の検索をするのだ。候補のそれぞれは「どんな評価をされているのだろう?」という検索。

インターネット事業社は、少なからず生活者に対してそういう状況を創りだしてしまっている。

飲食店で言えば食べログさんなんかがそうかもしれない。彼らは自分たちの存在を「お店選びで失敗したくない人のためのグルメサイト」と謳っている。

たしかに満足度高い。3.6以上選んでおけば、大体は失敗しない。

とにかく失敗の出来ない人々と、集合知を検索が結ぶ。それが今日におけるインターネットの情報構造の基礎部分になっている。

人々が失敗できなくなっている、という話はまた別の機会にがっつりしたい。再現性教育とインターネットが絡まり合い、最近の新卒などは必要以上に失敗や否定に怯えている、という内容。

そういえば、結構前に、というか彼女とほとんど同じタイミングで自分も同じことを書いていて面白かった。

とかなんとか言ってきたわけだけど、結局のところ、現在の新卒社員は`ネタバレ世代`であるわけで、会社員生活に期待を持ったり絶望したりは、ほとんどインターネットや(一部)TVのプログラムなどから仕入れるわけであります。
なので、冒険者というよりは、絶望者と興奮者、あとは多くの”こんなモンかな勢”で構成されているわけなのであります。

人生のネタバレ
その仕入れは結局その後も続くわけで、僕らは楽園を夢見てしまっている以上、それ以外の人たちより会社を辞めがちになると思うわけであります。
だって、なんか他にもよさそうな気がするんだもの。
選択肢それ自体を増やすことが、良い結果に結びつくわけではないのだけれど、それでも目に見えて、耳に入ってしまう隣の青い芝、どこかにいるはずな青い鳥を、今日も新卒君たちはぼーっと夢見てしまうわけでありました。

新卒社員はどうして3ヶ月で辞めていくのか。とネタバレの世代について より

二度目の確認が意味するところは、「情報の信憑性」に対して、不安があるという利用者の表れだ。

食べログさん(何度も取り上げてすんません)でいえば、広告表記とランキングロジックのいざこざは記憶に新しい。意思決定を促す集合知に、別のロジックの情報が混ざると単純に判断の質が下がる、それを懸念している。しかし、事業会社からしてみればアクション(=店舗への送客)の期待できる、とても美味しいMicro momentなのである。彼らは信用と収益のトレードオフに悩んでいる。

一方でユーザーはどうだろうか。

ユーザーも悩み始めているようだ。

透けた価値が当たり前の世界で、集合知は正義になる。「食べログで評価されていないごはんやさんはダメ」「アマゾンレビューで評価が低いモノはダメ」「SNSで評判の悪い映画はダメ」。いつのまにか、ダメかどうか決めているのは自分じゃなくて、どこかで見た誰かの感想の群れだったりする。

私は最近、「ハズレ」を引きにくい今だからこそ、意識的に自分だけの好きを見つけなければならない!という意識にさいなまれている。

そんな思いに流されて、私の部屋はいつのまにか「誰かの」お気に入りで溢れているのだ。

”自分”が”みんな”に浸食されていく。

まぁたしかに誰かの意思で、部屋があふれかえっている様は気持ちが悪い。大事なデートも、その演出やお店選びに、知らない誰かの意図が介在していると気持ちが悪いし、なんか呼んでくれた”その人の価値”じゃない気もする。

みんなの意見、みんなの価値観を知ることはたしかに大切だし、失敗しないこと自体はとてもいい。

だけど、「ここはみんなと自分は違う」と知ることで個性や自分の特長に気が付けたりするし、あとこれは体験談以上のなんでもないんだけど、失敗そのものにも結構価値があると思うんだ。

とくに、みんなと違う失敗をして、内省し、学び、自分のモノにできれば、それがあなたの価値になる。

みんなと違うことは、珍しいことで、珍しいことは価値になる、というのに気が付けるととても生きやすくなると思う。

そんでもって、失敗って意外とどうってことない。いや、どうってことなくない失敗もあるかもしれないんだけど、それこそインターネットなんか見てんじゃねえ。

ごめんなさい。

Google先生に聞けば、大抵のことがわかってしまうし、Twitterでフォローすれば、大体のことが見えてしまう。

良いにも悪いにも、こんな感じかなーっていう見当がついたりする。これってなんだかすごい気がするんです。大企業に入ったら、ベンチャーに入ったら、製造業に就いたら、地方に飛んだら、東京さ行ったら、サービス業は、営業は、パートは、フリーターは、アーティストは、ニートは。

と2012年の自分は言っていた。

最近、何でも価値が透けすぎてて、つまらない。

と2016年、言わせる側になっていた。

ごめんなさい。

利便性の追求だけで世の中は回らない。便利なものは価値を生み、カネを生み、ビジネスになる。

結局のところ、Googleに情報提供をし、サイトでレビューを書き、インターネットに情報が集まりまくった結果、便利になるどころか手間(≒検算)がかかるようになってしまった。

インターネット上の情報の質を上げたい、みたいな課題感って、結構いろんな人にあると思うんだけど、テーマがデカすぎてどうしていいかわかんない、でも頑張る。なんかこう、インターネットがクソって言われるのがなんかやだ。それだけ。

頑張る。

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