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気がついたら30歳だったので10年ごとの振り返りとこれから

こんばんわ。あいあむ30歳ピーポー。

どうも日曜日の夜です。

 

気がついたら30歳になってた。30歳になる前となった後で変わったこと自体は特になくて、たぶん27歳くらいのときに「やべえもうすぐ30さいじゃん、やべえ。しぬ、おれは何者にもなれずに命を終えるんだ、やべえしぬ」みたいな焦りがピークになり、28歳のタイミングだと仕事が鬼忙しかったり29歳だとなんか自分がもうすぐ30だっていうことを忘れていたりしていた。

だけど朝Twitterを見れば風船は飛んでるし、Facebookを見れば「お前もう30さいだからwwww」というNewsとありがたいことに「おめでとうございます!!」という書き込みが目に入ってくる。

ああ、おれは30さいなんだあ、っておもう。

これ以上は特に展開がないのでこの導入部分はこれでおわりにします。

 

さぁ人生について語るぞ!!!(ほろ酔い)

 

なにはともあれまずは10代のふりかえり

20代を振り返る前に、そもそも10代ラストの誕生日ってどうだったんだっけ。と思ったものの、そういや19歳のときにはその1ヶ月前に一浪して受かった大学の部活で祝われてましたわ。

 

10代の過ごし方:飛び出す事

10代は飛び出す10年だったと思ってる。

まずは地元から飛び出した、親の元から離れて一人暮らしに挑戦した、SNSでソーシャルな学生クラスタに参加してみた、本を読み人に話を聞き今までの自分という殻から飛び出した。

 

特に振り返るほどのなにかがあったわけじゃなかったけど、この年で得られた経験則は「正しい努力はそれなりに報われる」というのと、「インターネットはすげえ」だったと思ってる。

 

正しい努力はそれなりに報われる、について

中学までは部活に勉強にそれは真面目に打ち込んでるような学生だった。高校生になって勉強をやらずに部活で頑張っていたら気がついたら若干グレており、卒業はおろか進級も危うい状況にございました。

なんと、高校数学Aのテストを再再再再再試験まで受けても点数が伸びないので親を呼ばれそうになるという顛末。

そんな輩が10年後はデータ・ドリブンマーケティングとか言いながら大企業で広告とか事業戦略担当やってたりするので人生って本当にわからないよね。わろす。

そんなこんなでまぁ高校時代はやんちゃして、部活が終わった後も勉強などもせず、遊びほっつき歩いてたら浪人しました。

 

一方で周りの仲良かったやつらはちゃんと勉強をしていて、自分がガストや図書館で黙々勉強をしてるなか、応援はしてくれるわけです、でも楽しそうなんだよね大学生活。

畜生と。なんでおれはこんなに勉強してるのに、あいつらはサークルに飲み会にと楽しそうなんだ。この畜生め、と。

当然、彼らはちゃんと勉強してたし、自分はしていなかったので、なんですけども。

まぁなので勉強はしたほうがいいな、と。あとやってみて思ったのが、意外と「ちゃんとやったら面白い」やん、と。

生まれて初めて、頑張ってみようかな、と。そう思って頑張ったら受かったわけ、大学。

部活でも習い事でも、そういえばそうだった。

ちゃんと向かい合い、時間と頭を使ってやったら、できるようになる。

全部が全部ではないし、完璧ではないけど、やる前よりはできるようになる。わかるのが遅かったのかもしれないけど、こういう経験則があるので「とりあえずまずはやってみよう」というテンションが身についたのだと思ってる。

過去の自分、ありがとう。

 

インターネットはすげえ、について

浪人時代に周囲に友達のいなくなった自分は、集中できるもののまぁ寂しい。っていうか褒められて調子に乗るタイプなのでちゃんと褒めてくれる人がいないと成長と持続が厳しい。

親に褒めてもらうのも超絶に恥ずかしい、友達にメールで励ましてもらう?いや、帰ってこなくなるときに心が折れそう。

そんなこんなで、勉強記録ということでブログを始めるわけです。

 

これで自分の勉強時間の記録もできるし、友達にも見てもらえる。心折れそうなときには頑張ってたときのことを見てみたりとか、思った以上に心の支えになった。

予期せぬこととして、「会ったことないけど同じ目標を持ってる人とポジティブにつながることができる」という事が起こった。

浪人しながら大学受験を目指している何人かとつながり、日々お互いの更新内容や進捗をみてコメントしあうという動きになった。なんてこったい。

もともとネトゲやったり知らない人のホムペ(死語)に凸したりっていうのはやってたんだけど、こんなにポジティブな繋がりは初めてだったのでその衝撃は今でもはっきり覚えてる。

インターネットがもたらした「個人に何かをやりとげさす力」って、すごいぞ、と。

 

20代の振り返り

 

20代の過ごし方:選択肢を最大化する

20代の過ごし方として意識をしたのは、選択肢を広げる事。

なんとなく20年弱も生きてきて思ったのが、人生っていうのは”自分の持ってる手札”から、”そのとき最善手と思われるカードを切る”みたいなゲームなんだろうなと。

あと、田舎から東京に出てきて、さらに当時日本に来てそう時間の経ってないTwitterに入り浸って思ったのは、知ってると知らないとでは次元が違う差があるということ。

問題や他の選択について、認知できないと選択することも、目指すこともできなくなる。なので知ることというのはほんとに大事だなと思った。

なのでとにかく20代の前半は貪欲に学び倒すことにした。

学生生活においても、結構ちゃんと勉強してた。珍しいタイプだったかもしれない。

仕事においても常に気になることの中で一番難しいところに身を置いた。だって会社の金で勉強したり失敗できるんだぜ?最高じゃない??

無論、うまく行くことよりは失敗することのほうが全然多かったけど、それなりに結果を残したり次につながるものを得る事ができた。ありがとう。

 

だいたいのライフプランを考えたのも20代だった

そして早めに自分はどうなりたいのか、を考えた。これは就活の時、あと3.11がトリガーになった。この地震で祖父を亡くし、燃えてる気仙沼を見て、”五体満足で生きられてるってわりとアンバランスで貴重やん”って思った。

 

なので、自分と自分の身の回りをどうしていきたいのかを考えた。

これから意思決定が増える。やるべきことを定義して挑戦したり、やらないべきことにNOといわなきゃいけない事が増えてくる。

なのでまずは自分の軸を持とうと思った。

お金持ちになりたい、でかいところに住みたい、あんまり働きたくない、旅行いっぱいいきたい、うまいもん食べたい、音楽に溺れたい、愉快な人たちに囲まれて新しいことに挑み続けたい、そんな感じだった。

 

そしてそれを逐一確認した。気が変わるかもしれないから。

でも生憎まだ変わってない。

 

そうしながらそれにつながるかもしれない選択肢をとにかく増やしていった。勉強もそうだし、仕事の選び方もそうだったし、人に会い、きになることを教えてもらう時もそうだった。休日の使い方もそんな感じになった。もともと飽き性だし新しいもの好きなのでほどよかった。

その結果、どうにか20代の終わりの方では自分自身が納得できるものに囲まれて生活することができていた。グッジョブ自分、ありがとう。

 

20代で身についた考え方:自分を変えるのは自分だ

20代で身についた大切な考え方は本当にいっぱいある。

世の中に出てて感銘を受けたまま引きずってるのでいうと「自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ」「世界がつまらないのは君のせいだよ」といったものがある。

結局要するに、いろいろ吸収していった結果「自分の人生、自分次第」ってのがよくわかった、そんな10年だったんだろうなあ。

 

 

30代の過ごし方:美意識を持つ

そんなこんなで30代に突入する。

30代では美意識を持つことをテーマにしたい。

完全に「美」みたいなものとは対極的な人生を歩んで来た(特に見た目)この30年間なんだけど、挑戦したい。

 

単純に見た目がツルツルムキムキになって急にオシャレになったりイケメンになる、ということではなく、自分の見た目以外にも生き方や考え方に一貫性やわかりやすさ、シンプルな良さを求めたいと、そんな感じ。

 

自分自身というアイデンティティもより魅力的に、キャッチーにしたい。

外見などの肉体もそう、健康 is 大事。これは本当に最重要テーマ。若さでなんとかなる時代はもうとっくに終わった。そこから目を逸らさない。

精神や性格についても、もっと質を上げていきたい。大人だし、気配りができる、小粋な演出ができる、周りの人を活かすことができる、初めての人たちと仲良くできる、などなどね。

持ち物、やること、お金の使い方、時間の使い方など、いろんなものに自分の哲学を美意識もって反映していきたい。

基本的には「より少なく、だがよりよく」の精神でいきたい。

尊敬する30代の先輩方の話を聞いてるに、やっぱり「時間というのは減ってるから、なるべくこなすものごとも減らさないといけない」んだそうだ。

 

人生っていうのは毎日がアップデートだ

 

Common sense is the collection of prejudices acquired by age eighteen.

なんていったのはアインシュタイン先生か。

翻訳すると「良識っていうのは18歳までの偏見のコレクションなんやで」というところ。

これに対しては、声を大にしてNOをいいたい。

コモンセンスっていうのは常識っていうより「良識的な判断基準」と訳したいんだけど、要するに上記してきたような「身についた大切な考え方」。

これは、18歳までに云々カンヌンなんてことはなく、日々、毎日全ての瞬間でアップデートの利くものだと思ってる。

もちろんそれを感じ取り、学び取るという受信能力は必要なんだけど、人は毎日毎秒、その以前より何かが成長してる。成長してないにしても変化している。

その積み重ねが10年とか20年とかになって、そのとき思い描いてたところとは全然違うところに到達できるようになったりする。逆に、めっちゃ転落することもあると思う。

そんくらい、今自分たちが生きてる時代っていうのは変化が激しい。

なので、歳をとること、時間を過ごすことについてはちゃんと楽しく、そして将来の自分とか、周りにいてくれる人のためになるようなものにしたい。

将来自分や周りの人がダメ&不幸になっちゃうような過ごし方は極力避けたい。(そこには価値観の相違もあるので、決して他者に強要はできないんだけど。)

 

すんごいざっくりなんだけど、そんなかんじ。

明日からお仕事もまたがんばるぞ。

 

まとまんねえけど

なんつって。