“界隈”という言葉があります。非常に記憶に新しい、昨年のマーケティングトレンドの一つであったでしょう。
そもそも「トライブ」とか、「クラスター」とか「〜派」とか、そういう言われ方をしてきたものですが、なんかうまいこと時代にバチッとこの「界隈」がハマったんでしょう、これらの概念はマーケティングの界隈だけでなく、広く一般的に認知されることになったと思います。(消費者起点というのが、ユニークだったんですよね)
SNSの普及は私たちのコミュニケーションのあり方を劇的に変えました。それこそ、利用者側から「界隈」なんて言葉が出てくるくらいには、人々が価値観をもとに「群れを為す」方法が変わったと言えます。
つまりは感情の共有や意見交換がかつてないほど手軽になったということです。しかしこの便利さの影で私たちは何か大切なものを失いつつあるのかもしれないな、と思い文章を書きます。
Outlines
良くも悪くも「なんとなく」でつながることができる社会
言葉ではなく、「操作で繋がる」ということ
SNSでは、共通の趣味や価値観を持つ人々と簡単に繋がることができます。いいね(ふぁぼ)やリツイート(Repost)といった簡単なアクションで、自分の考えに共感してくれる人にフラグ付けができますし、その人に賛同のシグナルを送ることができます。
加えてフォローやリストインすることで(見る、見られるという関係性ですが)中長期的な繋がりを得ることができます。さらにそのソーシャルグラフのスコアを活用し、プラットフォーマーはより心地の良いタイムラインを個人へパーソナライズして形成します。
つまり、何らかのボタンアクションをトリガーに自分の好きな情報や人を集める、といった過程が自動化されているわけです。
ボタンを押すと、自分に近しい「よい・わるい」が延々と流れてくる、そして感情を刺激される。この手軽さこそがSNSの魅力であり、多くの人々が現代のSNSに熱中(もはや中毒化)する理由の一つと言えるでしょう。
一方でこの手軽さには、コミュニケーションの「省略化」が潜んでいると考えます。従来の賛同、否定といった対人コミュニケーションでは自分の考えや気持ちを相手に伝えるために、言葉を選び、文章構成を考え、相手に伝わるように言葉を紡ぐという作業が必要でした。
ところが画面上の行動で繋がることのできるSNSではこのような丁寧な言葉遣いや説明は必ずしも求められません。特定の人への賛同や共感であっても、コミュニティの中における意思表示であっても、フォローやお気に入り、あるいは「(なんとなく)いいよね」といった短い言葉や、絵文字だけで自分の気持ちを表現することも可能です。
言語化の力:客観化と再現性
いろんな人との対話を通して、どうもこの「言語化の省略化」は、私たちの思考にも影響を与えている可能性があるのでは、と考える機会が多くなりました。
言語化とは、自分の考えや感情を言葉にすることで、それらを客観的に捉えるという側面を持ちます。言葉にすることで、曖昧な感覚が具体化され、論理的な思考が可能になります。また言語化された情報は他者と共有したり、後から振り返ったりすることができます。
つまり、頑張って行う言語化には「思考の客観化と再現性」という重要な役割があるのではないでしょうか。
SNSの普及により、私たちは「なんとなく」の感覚を大切にするようになり、言語化を軽視する傾向にあるのかもしれません。あるシーンでは、「あえて言語化することを野暮とする」ことも見られます。
確かに「なんとなく」という感覚は、人間らしさの一つと言えるでしょうし、そういった感覚的なつながりや重なりを嬉しく思う感情もあります。しかしすべてのコミュニケーションを「なんとなく」で済ませてしまうと、自らと外部を繋ぐための深い思考や創造性が育まれにくくなる可能性があります。
いわば「ことば筋」の現象といってしまえるのかもしれません。
失われた言語化の力を取り戻すために
SNSの便利さを享受しながら、失われつつある言語化の力を取り戻すためには、どうすればよいのでしょうか。以下の方法を取り入れることで、言語化能力や、客観化の能力こと「ことば筋」が弱まるのを食い止めることができるかもしれません。
“あえて”言葉にする(言うとは言っていない)
なんとなく、という感覚や自分の考え、感情を言葉で表現する機会を積極的に作り出すことが効果的だと考えます。日記を書いたり、ブログを書いたり、友人と対話したりするなど様々な方法があります。もちろん、言葉にすること、そして(少なくとも自分が)客観化できることが重要なため、それを必ずしも外部に発信する必要はないのでは、とも考えます。(より多くの人の目に触れる方が、より実践的ではありますが)
多様な意見に触れる
自分の意見と異なる意見にも耳を傾けることで、新たな視点を得ることができます。異なる意見との対話の中で、自分の考えをより深く理解し、言葉で表現できるようになるでしょう。あえて、自分とは価値観や思想、バックグラウンドが異なる人たちの声や言葉に触れることが効果的です。
多くのことは、特定の観点から見ると一見単純なように見えても、多角的な視野で観測してみると非常にグラデーショナルで表裏一体の構造をとっていることに気が付けます。
自分以外の立場について、積極的に触れることで、「自分としてはこう考えるけど他の人はどうだろうか」「もしかしたら自分以外にはこのように見えていない(思えない)ということもあるかもしれないのでは」といった客観視への気づきや、そこから生まれる深い洞察力につながるのではないでしょうか。
読書をしてみる、さらに書いてみる
「多様な意見に触れる」とはいったものの、どうすればいいのか。そういった際には本を読むことがおすすめです。
自費出版や自己出版といった事例はありますが、多くの場合出版される書籍というのは、しかるべきたくさんのプロセスを経て世の中に発表されます。こういった優れた文章に触れることで、本の内容を知ることができるだけでなく、言葉の持つ力を再認識する良い機会となります。
知らない表現、知らない立場、知らない言葉遣い、これらに触れることで自分の中の「ことば筋」は強さを取り戻すかもしれません。
また、そのうえで文章を書くことは、読書によって新しいインプットをした自分の考えを改めて整理し、質の高い表現を吸収しながらその表現力やノウハウを自分に定着させることができます。
まとめ
SNSは非常に楽しいし、そこにあるコミュニティや”界隈”と呼ばれる集団も非常に毎日を彩ってくれる要素です。しかしこれらは私たちの生活を豊かにする一方で、同一の価値観において「なんとなく」でいろんなことが進んでしまうために、コミュニケーションに本来必要であった筋力を低下させる可能性も孕んでいます。
自分の感性を大事にしながらも言語化の力を意識し、言葉の持つ力に触れ続け、時には最大限に活用することで、より豊かな現代社会での生活を実現できるのではないでしょうか。
おっと、これじゃまとめではなくて「まとも」ではないか。(会場大爆笑)
なんつって。