ブンブン、はろーインターネット。
どうも私です。思ったより具無沙汰してますね。ええ、ごぶさたです。
今日、仕事の息抜きに自分のTumblrを掘り起こしていたわけです。Tumblr、あるじゃないですか。
TwitterやFacebookと歳を近くして生まれ、Yahooに買収されたあのメディアミックスブログサービス(強そう)ですね。
自分はこの「どうやってもいい」とか、「他人がどうやってもいい結果に生み出したものが流れてくる」という自由度がすごく好きで未だに時々眺めてたりするんですが、今日はこんなPostを見つけたわけです。
あれから6年が経った。
AKBはこの6年で、たった8人の観客からCD初動売り上げ歴代1位になった。長友はスタンドで太鼓叩いていたのが、今はインテルでスタメン、世界最高のサイドバックと型を並べている。たかが6年、されど6年ですな、と入社6年目にしてふと思ってみた。
そうなんだよねえ。と思ったのも、自分がいま社会人6年目なわけでして、6年生。
そしてこれが投稿されたのが、元のtwitterを辿るとわかるんですが、2011年。
現実では、これからさらにもう6年が経とうとしているわけなんですね。いやはや。
AKBなみなさまにおかれましては、引き続き日本のオリコンシングルチャートを大席巻し続け、姉妹ユニットも各地方各コンセプトで爆進中。
長友さんも昨年なんだっけ、なんかアモーレ的な流行語みたいなキーフレーズを残してご結婚んされたわけです。
5−6年という年月はやっぱり人の、人生のステージが大きく変わりうるスパンだったりして。
一体6年前の自分は何をしてたかな、何にハマり、何に騙され、何に喜び、何に泣き、6年後はきっとどうなっていると思っていたかな。
そして、そのとき描いてた自分に、今の自分は少しでも近づけているのかな、そんなことをふと思う夜になるわけです。
変化と人生とインターネット
人は成熟するし、変わっていく。人だけでなく、自分を取り巻く環境や技術、ルール、価値観、いろんなものが変わっていく。
外部的な要因に助けられていた好調さは、その後も続くとはまったく限らないし、一方で同じようにクソみたいな理不尽による最悪な状況も一過性であるかもしれない。
変わろう、変われる、変えよう、と勇気をもらえる名文に、以下のPostがあります。(これもTumblrで知ったんだけど)
“前に五反田で働いてたとき、夜11時ころ退社するとガード下でサックスの練習してる黒人がいたんだけど、最初すげえ下手でなんとか音が出せるかなくらいだったのが数ヶ月後には何人かが囲んで演奏を聞いてるくらいに上手くなってたんだよね。俺はこの何ヶ月かにいったい何をしていただろうと思ったね” Twitter / book_floor (via kuzira8)
実際に、五反田付近に住んでいた身として、この黒人はいつも目にしていた。
し、同時になんだこの下手くそはサックスは・・・と思っていた。仕事帰りだったもんで、疲れやイラつきがあったんだと思う。
でも、記載にあるとおり、どんどん上達して、周りに人が集まるようになっていった。
一方で自分はどんどんうだつの上がらないサラリーマンになっていった。
そこで初めて、そして強烈に「人の挑戦をバカにすること」の愚かさを思い知った。
「そのときどうか」ではなかった。人生はマラソン、なんてよく言われたりはするけど、もっと時系列と自分の感性や感情に素直に意思決定をしてもいいのだと思った。いや、そうでもしないと自分の人生は自分のものにならないと思った。
いろんなひとの気づき経由でも自分の人生はよくなる。
こうやって、たったの140文字かもしれないけど、大事なことに気がつきながら生きている。
生きてきたし、たぶんこれからもそう。
TwitterやTumblrに限らず、書籍でもそうだし、誰かの話を聞いたりしてもそう。
自分は決して優秀でないし、強くもないし、偉くもない。何も成し遂げていないし、ほとんど誰のためにもなってないと思ってる。
それでも、こうやってインターネットのおかげで、自分の人生や感性を延長し、拡張して自分に気づきを与えることができてる。
なんていうか、この時代に生まれた以上、そういう”得”は受け取っていいし、そうやってどんどん遠くに行けるようになって、ある日自分の何気ないアウトプットで誰かをハッとさせられるようになってるといいな、そうなりたいなと思った次第。
ちょっと天気や気温がいい感じだったから、こんなおセンチな文章になっちゃった。
でもたまにはこういうのもいいよね。
なんつって。
#ちなみに自分のTumblrのストリームはこちらです。興味があれば。