はいこんちわ。結局おひさしぶりになっちゃうんですよねえ。
タイトルにもあるとおり、完全ド素人なのであんまり扱いたくなかったものの、いよいよ看過できないなっていうのと、よく周りから聞かれるので、個人的に思ってることやみている情報ソースを書き連ねてみようと思った次第。
くれぐれも、医療に関する専門的な知識を持ってるわけでもない、ただの一般人なのであくまで自己責任で個人の意見として読んでもらえるとたすかります。
Outlines
新型コロナウイルス(COVID-19)について
何がそんなに怖いの
このウイルスがこんだけ世間を騒がせているのは、具体的な特効薬や治療法が特定できていない、というポイントが一番おおきいのでしょう。その次に感染力が非常に高いとされているところかなあ。
特効薬や治療法に関しては文字通り日進月歩で世界中において技術の考案や試験により進化が続いていて、発生当初は「何にも効かない、こわい!」みたいな状況だったのが変わりつつあるという状況。ただ、見つかってないもんは見つかってないので、引き続き「そもそもかからんようにする」が一番望ましいのは変わらず。
特効薬の候補としてはアビガンでしょうか。国内での承認行程も進んでいるようで、現在(2020年4月4日)は治験段階までプロセスが行っている模様。
安倍晋三首相は3月28日、首相官邸で記者会見し、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)治療薬の有力候補として注目されている「アビガン」(一般名:ファビピラビル)について「正式承認に向け治験プロセスを開始する」と表明した。https://www.jmedj.co.jp/journal/paper/detail.php?id=14327
製薬のステージングについてはみんなだいすきQuizknockで勉強しましょう。
大変なんだな〜っておもいます、すごい人たちがんばれ。(こなみかん)
感染力と致死性について
あんまり詳しいことはわからないのだけど、感染ペースは非常に早く、世界中で指数関数的に感染者数が増えていると言われている。国内に限った話でももちろんそうなのだが、最初は「アジアの問題やんけ」とちょっと距離感おいてた欧米諸国での感染爆発がすごい。
グラフはnews24さんがきれいでみやすいダッシュボードを公開している。
https://www.news24.jp/archives/corona_map/index.html
なんでこんなに急に増え続けて行くのか、というのに関しては、ワシントンポストさんのこの記事がわかりやすかった。
コロナウイルスなどのアウトブレイクは、なぜ急速に拡大し、どのように「曲線を平らにする」ことができるのか
https://www.washingtonpost.com/graphics/2020/health/corona-simulation-japanese/
たった1人の感染者と、健康な人、そして回復した人の数をシミュレートしているものになるんだけど、これを見ればとにかく国や政府、WHOのいう「Stay home(外出自粛)」の重要性がイメージできると思う。
一部では「ロックダウン」だとか、「おこもり戦略」といわれているこれらの物理的な距離を作って感染者の増加を防ごうという策は、「社会距離戦略」と呼ばれているらしい。シミュレーションとしては「全員が自由な行動をした場合」「隔離を計画した前後」「適度な社会距離戦略(いまの東京都みたいな状況)」「より厳格な社会距離戦略(これはいわゆる”ロックダウン”状態の国でみられる)」となっているので、ぜひみてみてほしい。
さてさて各国でやるのやんないので話題持ちきりな「ロックダウン」についてだけど、これは煽り文句として非常によく目にする割に、その画一的な定義というのは明確には存在しない。たとえば、交通インフラが停止したり、外出やスーパーへの入店に許可証が必要だったり、警察や軍隊が取り締まりを行うようなロックダウンもあれば、政府から各個人へ「外出を自粛するように呼びかける」といったライトな対応もある。そう考えると、いまの東京は実はロックダウン状態なのかもしれないね。
ただ、この先には首相が出す「緊急事態宣言」というものがある。これは各都道府県知事の出す指示と同様に法的な拘束力は持たない予定だけど、一方で政府や各自治体にいくつかの強制力を持たせることが法律で決まっていて、実際の呼びかけに徹するだけよりは効力があろう、という施策になっている。ソースはこちら。
4月1日の答弁では「さまざまな要請をさせていただくことになるかもしれないが、フランスなどで行っているものとは性格が違う」と強制力は基本的に伴わないとの認識も示した。
内閣官房新型コロナウイルス感染症対策推進室によると、日本では中国や欧州など諸外国と比べてできることは限られている。改正新型インフルエンザ対策特別措置法上の緊急事態宣言が出された場合、外出自粛の要請や、多数の人が利用する施設の停止を指示できるものの、罰則はない。https://www.jiji.com/jc/article?k=2020040100729&g=pol
あと、症状についてトゥギャッターのほうでまとめられていたこれをみて、「こわ」って思ったので、頭の片隅においておくといいかもしれない。
さらに、探してみれば感染者という珍しい観点での記述も残っている。インターネットはすごい。
「コロナウィルス感染の可能性は大。しかし現時点では軽症なので呼吸困難等の症状が出たところでもう一度連絡をくれれば、検査センターを紹介して入院できるようにする」ということを伝えられた。糖尿病の薬を飲むのをさぼっていたことが看護師さんにばれ、ものすごく怒られた。そう。私は糖尿病の気があるので、新型コロナウィルスの重症化リスクが高い部類の人ではあるのだ。血糖値の数値は極悪状態からは脱していたものの、とにかく怒られた。しかし、現時点では「解熱剤を飲んでがんばって治ってください」というのが医者の見解だった。この時点で、「いま軽症で病院に行って検査キット消費されても困る・・・」という空気が既にあった。
「感染者数」という指標と「病床数」の埋まり率
日々発表される感染者数、その数は以前に増してどんどん増加の傾向にある…このまんまじゃやばいのではないか、と思わされるのだけど、これを実数だけで見るのはどうなのかなと思っている。というのも、基本的にコロナウイルスへの感染か未感染かというのは、特殊な検査を通じてわかるものなので、普通の風邪のように「ちょっと熱あるから診てもらうか〜」といくものではない。
つまり、「検査数より多くの感染者は見つからない」、という重要なキャップがあることを見逃してはならない。それじゃあその検査数はどうやって決まるのか?
それは病床数、つまりは「感染者を受け入れられる環境」なのだと考えている。
そもそも2020年1月28日の官報に「指定感染症として認める」の内容が広報されてる通り、コロナウイルスの感染者の快復を請け負える施設は限定的に定義されている。
https://www.mhlw.go.jp/content/10900000/000589748.pdf
新型コロナウイルス感染症を指定感染症として定める等の政令をここに公布する。
https://www.mhlw.go.jp/index.html
なので、そもそも「感染してるとわかったけど治療ができない」という状況との戦いなわけで、これもあって感染者数を抑えなければならない、のである。
ちなみに毎日見るようにしている都道府県別の病床数はこちらでチェックできる。
4月4日の段階だと、神奈川と京都がすでにパンクしている。都内もかなり逼迫した状況に置かれていることがみて取れる。こういうのに対策するためにたとえば昨日はこんなニュースがあった。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200403/k10012366641000.html
「アパホテル」では「政府から受け入れの打診があり、全面的に受け入れる意向がある旨を伝えています。今後、具体的な提案があれば、スタッフの安全策を図ったうえで、国難とも言える新型コロナウイルスに対応していきます。また、医療従事者の宿泊についても、半額で利用できるようにし、全力で支援していきます」としています。
アパホテル「軽症や無症状の人 全面的に受け入れ」新型コロナ
また、感染者の滞在するスペースだけでなく、医療従事者のためのリソースも重要な観点となる。どうしても感染リスクの高い状況下に置かれるだけあって、同様の隔離措置を要するケースもあるため、とにかく「感染者および濃厚接触者のためのスペース」の確保や捻出という戦いが、わたしたち一般生活者からは見えないところで繰り広げられている。
都知事のいう「重大局面」はこういった背景のある発言だったのだと思う。
Withコロナの世界で何ができるのか。
かからないように生活を整えてがんばれ
ここを読んでる人たちのほとんどが、現在は発症していない人たちだと思って書く。
基本的なスタンスは「いのちをだいじに」だ。不特定多数との接触を避ける、これにつきる。
都知事は「3密(密閉・密集・密接)を避けろ」という言葉で表したけど、あれだけシンプルに表現できたのはマーケター人格の自分としては「うまいことやったな」という感じである。変な大喜利とかにされちゃうだろうけど、一般大衆知性なんてそんなもんで、真面目に自身の健康を守ってくれさえすればどうでもいい。
3密ではあるんだけど、さらに見逃しそうになるのは手洗いうがいによる予防策の徹底だ。
コロナウイルスは空気感染ではなく飛沫感染によって移る、これは他人が触ったものに気をつけろとほぼ同義と捉えてよいと思ってる。いつも触ってるであろう、「自販機のボタン」「エレベーターのスイッチ」「電車のつり革・柱」「小銭」などなど、よーーく考えてみると不特定多数が触ったかもしれないものを、我々は結構触ってる。シンプルに「ばっちい!!」という話でもあるんだけど、いまは感染を防ぐためにこれらを触ったらこまめに消毒することが重要だと考えてる。詳しくはこちらのページを熟読して、習慣化しましょう。命かかってるんで。
国民の皆さまへ (新型コロナウイルス感染症)https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000121431_00094.html
厚生労働省
いいハンドソープなんかを買って、手洗いを楽しくするのがいいんじゃないでしょうか。すげーさっぱりしてテンションも上がって非常に人生がいい感じになるのでとてもよき。逆に手を洗いたくてどうしようもない状態になる。手を洗うために生きてる。
免疫力を下げない
普通に健康について意識をする。たとえばちゃんとご飯を食べる、できるだけ野菜類も食べる、あったかくする、めっちゃ寝る、ストレッチなどでいいので軽い運動をする、など。積極的に外出が出来ない状況ではあるけど、部屋の掃除や洗濯、自炊などでも結構体を動かすことになるはず。普段やれ仕事だなんだで怠けているであろう生活をちゃんとやっていこう。
気をつけたいところとして、体調だけにフォーカスするのではなくて、メンタルの管理も普段より余裕を持って、甘めにするのがよいとおもう。不安を煽るようなコンテンツや、精神をすり減らしちゃうものからなるべく離れる。そもそも異常事態なので、なにもしなくても普段から気疲れはする、これはみんなそう。仕方なし。なのでちゃんと自分でわかってあげる。うまいもん食べてだらだらしよう。
誤った情報に乱されない-科学・統計・メディアリテラシー
自分も医療に関する専門知識はほとんどない。「具合が悪い時は医者に行ったほうがいい」くらいの知識しかない。それでも職業柄一定の数値やロジックに対する親しみがあるほうだとは自負している。
そのうえで、自分のインプットで大事にしていることは「ソースの質」だ。あんまり加工されていないものがいい。これは以前も別記事で話した。
情報次元が低く、他社の解釈や印象操作の行われていないものを摂取すべき。たとえば今回で言えば「政府」「都道府県」「WHO」などの情報開示を基本的には読み込む。テレビやネットニュースなどは、そのエビデンスがしっかり信頼できるものなのか、出所不明のただのキャッチーなウソなのかはしっかり見分けたいところ。
とりあえずは困ったらこれを読めばいい。
国民の皆さまへ(厚生労働省)https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000121431_00094.html
新型コロナウイルス感染症について(厚生労働省)https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000164708_00001.html
普段あまりテレビを観ない生活をしているのだけど、正直ワイドショーなんかよりはだいぶ正確な情報であるはず。
ちょっと他のものを悪く言うのは気が進まないのだけれど、自分の親や親しい友人などがこのレベルの情報で命を危険に晒してたらシャレにならんな、という思いもあって記事を書いている。
このレベルというのは、たとえばこんな感じ。正直嘲笑を通り越えてドン引きしてしまった。
「データを正しく使う番組とそうでない番組を比べる」という内容なのだが、
フジテレビ『とくダネ!』
この番組ではこの東京都の患者数の推移グラフを登場させている。ただし1度だけでVTRの中に入れたCGという形での登場だ。テレ朝『モーニングショー』で羽鳥キャスターらが繰りかえし、指を指して強調したような「人間のぬくみ感」がない。一方的に流れていく中の一つの断片的な情報伝達に過ぎない。
これでは見ている側が危機意識を持てないし、視聴者の記憶にもとどまらない。番組としてもどこが大事なポイントなのかわからず面白くはない。同番組の視聴率が低迷しているのはこのこと一つ見ても理由がわかる。1度だけそれもCGで一瞬出てきた数字に危機意識を持てるものではない。
「人間のぬくみ感がない」ですか、そうか、そういう見方もあるのか。なるほどな。
データにぬくみ感は不要だ。というか、人間の主観によって改変されてしまったデータはもはや事実ではなくてそいつの解釈が含まれた感想に過ぎない。それは客観的判断においてノイズであることが多々だ。さらに主観者が医療や感染症のプロフェッショナルならまだしも、部門外の人々がやんややんや言うだけなので驚く。医療業界でさえ、悩ましい議題には多方の意見を複眼的に集めて精度をあげて総合的に判断するのがトレンドだというのに。びっくりしてしまった。
「この番組はすごいぞ」という意図でこの記事を書いたのであろうが、全体的なレベルの低さを露呈するだけと言う非常に皮肉なエントリになってしまっている。
こういった事例もあり、ネットやテレビといった情報源は発信者に悪気がなかったとしても誤った情報を拡散させ、知らず識らずのうちにそれを受け取り、意思決定に反映してしまうケースがある。
新型コロナ“被害”はAIで食い止められるか 感染拡大と「地震よりひどい」デマへの処方箋とはhttps://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200309-00000028-zdn_mkt-bus_all
不確実な情報を発信しないだけだけでなく、それを拡散しないことが社会全体の快復を早めることにつながる。ソースチェックやファクトチェックは、個々人が責任と良識をもって取り組みたい。
世界の在り方を変えてしまうかもしれないブラックスワンとして。
これだけ大規模に人類に危機感を与えたインパクトはあっただろうか。
もちろん、人命や健康といったダメージでも甚大だが、産業革命以降、世界の当たり前として機能してきた金融資本主義経済への影響も無視できない。
現代社会における「不要不急の自粛」という劇薬
世界各地でいわれている「不要不急の自粛」、これは消費においても、生産(仕事)においても推奨されている。推奨されているのだが、その反面で「コロナ不況」により採算の取れない事業や企業、個人の商売などが大量に発生した。
それはなぜか、結局、経済というのは「人々の暮らしにある不要不急の贅」によって回っていたからだ。
よりよいものが欲しい、よりよいものが食べたい、よりよいところに行きたいといった人間の欲求と、その欲求を支えるサービスが雇用機会になっていた。欲求が強くなればなるほど、サービスの価値は上がり、価値が上がると高い賃金が支払われ、資産があれば人はより贅沢をする。これがうまく噛み合って成長してきたのがいまの経済である。その循環を一部断ち切ろうとしているのが上記もした流動性を一時的に低減させる「社会距離戦略」である。
さらにいえば、その成長に拍車をかけていたのが、実際の価値以上の価値を推定してレバレッジをかける現在の金融市場である。「得するとわかってるんだったらどんどん投資をする」「投資が集まるのだから多くのチャレンジができ、市場での存在感が増し、価値が高くなる」という加熱化が進み、大きな会社や大きなサービスには、いま実存するキャッシュ、いま稼げる金額以上の価値が集まるようになった。その状況で、価値が下がって投資が引いたらどうなるかは想像に難くない。
詳しい話は後述の推薦書籍を読んでもらえるとありがたいのだけど、つまりは期待に対して実態が乖離している「期待産業」が、市場の読み通りに成長しないリスクが出てきた。
逆に言えば、いまの経済を回しているのは、ある意味「リスクがないこと」だったのだが、この神話が崩壊しかけているとも言える。
銀行や国などの判断で、多額の、本当に多額の救済措置が取られるようだが、投資家は今回のリスクを重く鑑み、改めて現金至上主義に立ち返るかもしれない。そうなるとレバレッジが限りなく下がり、抱えている資本のサイズが下がるため、事業展開や推進のスピードが落ちる。また、レバレッジ範囲内での適切な事業サイズへの修正が発生する。これが米国で失業相談件数が爆増している理由でもある。
2週間前、330万人以上の米国人が失業保険を申請。過去最多だった1982年の69万5000人を上回り、申請件数は2週間で合わせて約1000万人に達した。https://www.bbc.com/japanese/52146618
最多だった年が69万人だったが、ここ最近の2週間で1000万人を記録している。数値感がバグりまくっているが、つまりはそれだけインパクトの大きな話である。
愛と優しさが人を殺すという残酷な性質
そういえば、ヨーロッパで爆発的に感染者と死者が増えてしまった新型コロナウイルス、その要因は「隣人を愛する」という欧米の文化にあったようだとする見方がある。
それにしても、イタリアではなぜこんなに死者が多いんだろうという疑問は、
感染騒ぎ初期から、頭の隅に淀んでいる。日本に次ぐ高齢者社会で、お年寄りを大事にする習慣がある。
だから感染が広まったというのが今、もっとも言われている説。たしかに、うちの19歳になる娘も、おばあちゃんが大好きで、隣に住んでいる彼女を頻繁に訪ねて行っておやつを食べたり、そばで宿題をしたりしていた。去年、94歳で亡くなったのだけど、
「ノンナ(おばあちゃん)、いなくてよかったね。安らかに逝けて」なんて言っている。
トリノのような大都市では、私の知る限り年老いた両親と同居をする人はあまりいない。大切にはするけれど、お互いのプライバシーを大事にしたいと言って別々に暮らし、必要なら掃除などの補助をしてくれる人を雇うか、自分が通うか。そして、ひんぱんにおじいちゃんおばあちゃんを訪ねて一緒に時を過ごす。週に一度とか、月二回とか。
お盆と正月にしか顔を見せない、なんていうのはありえない。
そんな可愛らしい、愛情にあふれたイタリア人の習慣が裏目に出てしまったなんて、あまりに過酷だと思う。今朝のニュースでは、ロンバルディア州で暮らしていた孫が例の移動規制措置がとられる前に地元に帰り、老人ホームで暮らしているノンノ(おじいさん)を見舞った。孫は知らずにコロナウィルスをばらまいてしまい、今日、老人とスタッフ合計69人の感染者が見つかったという悲惨な話。
もういいおじさんことわたしも三十路を越えた頃、東京に祖母はいるが、今年に入ってこんだけ都内を出歩いた手前、自分が無自覚に保菌者である可能性が怖くて、見舞いにはいけない。実家の両親も同じくだ。まだ健康でいてくれてるが、体力などに関しては間違いないく自分よりない。そもそも都道府県を跨いだ移動は自粛するように呼びかけられているし、実家のある都道府県の医療設備を理解しているので、その自粛には概ね同意だ。
困った時はそばにいてあげる、あぶないときにはすぐ駆けつける、これらが愛とされていた時代はまだよかったのかもしれない。今、人に対する優しさや愛がその人を聴きに貶めてしまう可能性を孕んでいる。人が好きな人にとって、これ以上の仕打ちがあるだろうかという残酷さを禁じ得ない。
お金の量が変われば、流れ方が変わる、流れ方が変われば世界が変わる。そして、人と人の距離感すら、このコロナインパクトで変わってしまうかもしれない。
新海誠監督の『天気の子』ではないが、世界の在り方を決定的に変えてしまうかもしれないのかもしれないね。
After-covid-19(アフターコロナ)の世界で
世界中を席巻してるコロナ禍のあとの世界はどうなるんだろう。
おそらくなんだけど、国内で生活する限りはそんなに変わらないんじゃないかな、と思う。ただ人々の脳裏には、「リモートワーク推奨によって、いろんな働き方があるとわかった」「家でゆっくりすごすことで、本や映画に触れ感性的な時間の使い方が増えた」「遠隔で人と話す、人と会うことがより身近になった」「テイクアウトで地域のお店を使うようになった」といったことが増えるんじゃないかなと思う。
また、「物理的な人との接触を減らすこと」を通して、接触しないことのしんどいこと、楽なことを自覚するのと同時に、改めて物理的に人と接することのしんどいこと、楽なことを各個人で再定義することになるのだと思う。ここにおける自分の精神的な変化にも、多少なり耳を傾けてあげるのがいいと思う。
どうせおうちにこもっていてもなかなかやることがないな。っていう人はこちらの書籍を読んでみることを非常に強く推奨する。いまの世界がどういう成り立ちになっていて、それが、今後どうなっていきそうなのかについて、示唆が得られると思ってる。なんか知らん間に非常にセールス色が強くなってきているけど、内容も分かりやすさもともに名著だと思ってる。
父が娘に語る 美しく、深く、壮大で、とんでもなくわかりやすい経済の話。https://amzn.to/2X7dq2p
さらに余裕があれば『銃・病原菌・鉄』や、『ブラックスワン(不確実性とリスクの本質)』にトライしてみるのもいいと思う。
おわりに
ここまでいろいろ書いてきたけれども、とにかく、怖いことなんてあってもいいことないので、まずは新型コロナウイルス騒動から世界がいち早く快復し、こんなにピリつかなくてもいいようになることを願ってやみません。
そのついでに、この世界と各個人の生き方に柔軟性が生まれて、いままでの凝り固まった社会から少し居心地がよくなるといいなと思っています。
というわけで、読んでいただいてありがとうございました。
おもしろかったらシェアしてみてね。
ホームカミングスを聴きながら書きました。
みんな大変だけど、みんなでがんばってこーね。
なんつって。