この先、幸せに生きていくために、いま一番身につけておくべきことってなんですかね?
という相談を受けたので、ちょっと考えて(実際に答えたことを)整理する。
それはリテラシーとコミュニティーだ。
それはリテラシーとコミュニティーだ。
っていきなり二つあるやーん!!!っていうのは置いておいて。
フェイクテクノロジーのスピードと精度、そして規模はこのままどんどん大きくなる。実際にあったことを恣意的に歪めて広める、あるいは、全くなかったことを創り出しばらまく。そんなことが個人でも簡単にできるようになる。
情報操作のニーズは高い、今後もますます大きなお金や技術投資が動き、知らないところで発展していくだろうと考える。
誰でも簡単にあったことをなかったことにし、なかったことがあたかも実際に起こったかのように世の中に発信できる。
インターネットが死ぬという未来
インターネットはフェイクニュースに殺されるのではないか。
世界史における価値の世代交代において、決まって希少性を殺すのは普及性で、普及性を殺すのは低品質化だ。
取材では、マケドニアの若者たちの間で「先生」と呼ばれている人物に面会した。ミルコ・チェセルコスキ氏。彼の名刺には「トランプ大統領の誕生を手伝った男」と書かれている。ミルコ氏は7年前から、ネット上で広告収入を得るノウハウを教えており、これまで大勢のヴェレスの若者を指導してきたと言う。
若者たちに必ず紹介するという、1本のフェイクニュースを見せてきた。見覚えのある記事―アメリカで出回っていた、あの『歯磨き粉のチューブ』のニセ記事だった。
「この1本だけで、1000万円稼ぎ出しました。世界で1億回も読まれたんですよ。実はこの記事を作ったのは、私の妻なんですけどね」。
勝ち誇ったような笑い声が、耳にこびりつく。
「『大きい』とか『たくさん』のような普通の言葉を使ってはダメなんですね。『途方もない』『ものすごい』『計り知れない』『壮大なスケールの』『天井知らずの』など大げさなフレーズを使うんです。『ここだけの』とか『速報』とかをつけ加えれば、クリックの獲得は間違いなしです。中身は必ずしも事実でなくても良いのです」
嘘がホントか分からない情報がたくさんあります。
そこを検索し、閲覧する価値はなんだろうか。
そこで人を見つけ、その人が発信するPostからは何を感じ取ればいいのだろうか。
そうなったときに例えば、インターネットがその信用的価値を失墜させて死ぬ、機能的に無価値になることを思い描くのは難しくない。
誰の情報が正しいのかわからないうえに、自分が言ってもいないことが、自分の発信と取られるかもしれない世界なんて、危険すぎて立ち寄りたくはない。風評リスクなどを考えて、一切触れず、「インターネット、やってないんだよね」というのが正解になろう。
あるいはインターネットが死なない(フェイクにまみれて残る)だとしても、ただしく情報を判断し、自分が幸せになれる方向に舵を切ることのできる力が、必要になる。
残念だが、悪意は避けられない。
残念だが、悪意は避けられない。
Connectedは、hackableだ。
そこに一定量の悪意が避けられないとしたら。身を守るのは自分自身の判断力になる。
インターネットが価値を失う、あるいは禁止されたとしたら、人々が失うのは情報とコミュニケーションだ。
そうなったときのために、うまく情報を手に入れるネットワークと、安全かつ確実にコミュニケーションのとれるコミュニティーこそが必要になる。
分散化の時代とはよく言ったもので。
そういう意味で、今からローカルなネットワーク形成にシフトしておくこと、統計的な知識やなるべく多くの一次情報への接点や理解を持っておくことが、Post internet時代を幸せに生きることのできる能力なのではなかろうか。
信用のできる人々、信用のできる情報、確固たるコミュニティー、これらが今後ノイズまみれになるインターネットから人生を守る有力なスキルになる。
そしてなにより、仮にこのままインターネットが(ある程度)信用に足る、判断を促し、人生をより良くするものであり続けたとしても、高度な情報リテラシーと良質なコミュニティーは、きっとあなたの人生をよりよくする。
取り組まない理由は、もはやどこにもないと思っている。
そんなことを考えて、土日は去り、また1週間が始まる。
みなさん、今日は寒いし眠いし、ゆっくり休んで、また頑張っていきましょう。
このエントリ、流行りの音声入力で書いてみました。校正も含めて投稿まで約20分。悪くないけど、タイトルに「一番身につけるべき〜」とか入ってるのに、1行目で2個提示しててワロタ。
なんつって。