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身軽になる、変化に飛び込む、東京から思いを馳せるニューノーマル

どうもこんばんわ。最近東京は雨ばっかりなんだけど、雨音に耳を貸すのも心地よいと思えるくらいにはSTAY HOMEなここ数ヶ月。

まさか半年前はこんなに家にいることになるなんて、思いもよらなかった。社会人になった自分は、転職したり昇進したりで収入も上がり、美味しいものを食べたり良いものを買うようにはなったけど、やっぱり新卒当時の考え方も抜けきらなくて、「家は寝るだけの場所」としていた。

4年目を迎え、転職した企業に馴染んでもきたので、ようやく狭い品川区のワンルームから引っ越した。ワンルームという間取りは気に入っていたので、そのまんま部屋を広くし、新築・角部屋・最上階というわかりやすい条件と、椅子を出したりご飯食べたり寝っ転がったりできる眺めの良いルーフバルコニーを備えた今の部屋に一目惚れして引っ越した。

この部屋も気に入って数年住んでいる。引き続き、ことあるごとにバルコニーに出て、本を読んだりだらだらしたり、仕事をしたり、自然光と自然風を浴びたりする日々だ。

なんとなく感じるニューノーマル:人生の速度低下

仕事は3月からずっとリモートだ。基本的に在宅で朝から夕方頃まで仕事をする。もともと料理が好きだったので自炊が増えた。飲み会が減ったので早寝早起きにトライしてみた。朝起きるのが早くなったので身体が楽になった、なんとなく近所を散歩し、食事の材料を買い込み、歩いて起き始めた体をストレッチでケアする。コーヒーを入れ軽く家事をこなし、仕事を始める。

仕事の忙しさには波がある。激しい時は2週間くらいほぼ無休で戦った。(あの忌々しいウイルスが、せっかく作った事業計画をごちゃごちゃにしてくれたからだ)

忙しくない時は、昼寝をしたり、筋トレをしたり、開いた時間に読書や自分の勉強をする。

電車にはもう数ヶ月乗っていなかった。(3月から7月までで、合計4回くらいしか乗っていない)

そんななかで感じたのは、「いろいろ過剰に熱を持っているレースが、冷めていく」という感覚。いいスーツを着て、いいものを食べて、いい車に乗って、いい家に住む。そのためにバリバリ働き、出世レースにエントリーし、激しい競争の中で自分を磨く。

もちろん自分はもとよりそういうタイプではないのだけど、そんな日々が少しずつ鎮静化をしていく感覚を持つようになっていた。それは、なんだか資本主義の用意したレースの結末が回見えてしまったかのような感覚だった。

スロウでも、ローコストでも、納得のいく人生を

いくら稼いでいる、どこに住んでいる、何を買っている、何を食べている、インスタグラムやTwitter、FacebookなどのSNSでは、みんなのハレの投稿がストリームになって流れ込んでくる。

もちろん、ほとんどの人が「珍しくて貴重だから」SNSに乗っけるわけで、毎日豪華絢爛な生活をしている人がすべてではない。それでもラグジュアリーで幸福度の高そうな波状攻撃は心に「それに比べて自分は…」という影を落とす。

でもそれは、良いものを買ってないからだったり、いわゆる非リアだからではない。自分の人生に納得が行ってないから、なのではと思うようになってきた。

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ウルグアイの40代目の大統領、ホセムヒカ氏は、この観点で「足るを知る」を見事に体現している人かなあと思う次第。

「我々は発展するために生きているのではなく、幸せになるために生きている」

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「貧乏とはお金がないことではなく、欲が多すぎていつまでも満足できないことを言う」

ホセ・ムヒカ

「発展は幸福を阻害するものであってはいけないのです。発展は人類に幸福をもたらすものでなくてはなりません。愛情や人間関係、子どもを育てること、友達を持つこと、そして必要最低限のものを持つこと。これらをもたらすべきなのです」

ホセ・ムヒカ

世界は広い、社会も広い、世の中も広い。自分の半径100メートル程度がすべてだと思ってんじゃねえぞ、とマツコデラックスさんは言った。

自分は、もっとスピードを落とし、もっと体温を落とし、そしてもっと身軽でいいんじゃないか、そう思った。

とにかく、自分の知らない景色が見たい

世界は広い。Googleで「絶景」なんて調べてみれば、自分の見たことのない景色が広がっている。それを直接自分の目で見て、原体験として仕入れたい。そんな強烈な欲求が、ここ最近非常に高まっている。

日本という国は非常に美しいし、面白い。世界ももちろん刺激的で面白い。

それを味わうことがなくてよいのだろうか、否、良いわけがない。なんとしても実体験として自分の人生で通過して、血肉にしたい。現在はもちろん、あんまり外出や観光が歓迎されるタイミングではないし、そうであるべきだとは思っていない、なので先人たちからいろいろ学んでみることにした。

以下の動画やブログ、書籍を追うことが、いまの時間の使い方になっている。知らないことばかりで本当に刺激的だ。

元祖SNS×学生旅×世界一周:HIBILOG

実は大学時代の同級生、青木くん。たしかPC室でiMacの電源の入れ方を聞かれたことがきっかけでいろいろ話した。なつかしみがすぎる、もはや10年くらい前か。その後、あんまり会う機会には恵まれてないのだけど、会社経営頑張ってたり面白いことやってたり浅草にいてニアミスしてたりする。

好きな記事はこれ。

最も日本を知っているメディア:ふるさとの手帖

https://katsuo247.jp/

日本に存在する1,741の市町村を巡る、そうすることで「わたしはあなたの地元に行ったことがあるんです」と100%言えてしまう。こんなに強いことがあろうか。写真で知っているのではない、本で読んだのでもない、移動中に通過したのでもない。

しっかりと歩いて、そして写真を撮る、世界一周や日本一周にありがちな甘さは彼の誠実さゆえにこの旅にはなかったし、それによってすべての人のふるさとが主役になれた、本当にすばらしい大偉業だと思う。

あなたは「ふるさと」を愛していますか。

日本という世界の端っこに浮かぶ島国に、

それでも数え切れないほどのまちはある。

”1,741”ある全ての市町村を巡っても、

僕のふるさとは数える程しか存在しない。

それはどのまちの誰かにとっても同じだ。

だから僕は、ふるさとを忘れないでおく。

https://katsuo247.jp/post-40409/

写真が多く少し重いサイトになってしまっているが、ぜひ自分のふるさとを見つけてみてほしい。とても不思議な、それでも幸せな気分になれると思う。

人を旅に駆り出す魔の書:深夜特急

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インドのデリーからイギリスのロンドンまで、乗合いバスで行く――。ある日そう思い立った26歳の〈私〉は、仕事をすべて投げ出して旅に出た。途中立ち寄った香港では、街の熱気に酔い痴れて、思わぬ長居をしてしまう。マカオでは「大小(タイスウ)」というサイコロ賭博に魅せられ、あわや……。一年以上にわたるユーラシア放浪が、いま始まった。いざ、遠路2万キロ彼方のロンドンへ!

深夜特急1

時期は1970年代、いい加減な計画といい加減な持ち物で、とにかくたびに出てしまったという物語が織りなす熱気あふれる展開にあれよあれよと引き込まれて、あっという間に読破し、そして気がついたら自分が旅に出ているという魔の書。読んでみたがやはり面白い。いまとなっては交通網がいろいろ整備されたり、国外諸国の設備が整ったり、そして何よりネットがあるのでここまで無茶することのほうが逆に難しいかもしれないが、それでも対比して読んでみても楽しい。

心地の良い旅程ではないのに、不思議と羨ましく思えてくる、そんな冒険譚。文庫ということで値段的にも量的にもチャレンジしやすいと思うのでぜひに。

旅とカメラとYoutuberのまさにニューノーマル:撮って笑って旅をして(こんちゃん)

http://hiromasakondo.com/tabinokikkaketo-bokunidekirukoto/

https://ameblo.jp/hitchhike-photograph/entry-11784241988.html
https://ameblo.jp/hitchhike-photograph/entry-11931932252.html
http://hiromasakondo.com/final/

日本一周一人旅→世界一周一人旅→日本一周二人旅←イマココ

と、世界も日本も股にかけまくる写真家のこんちゃん(近藤氏)による一連の記録。

彼が撮ってた人の笑顔もさることながら、プロの写真家としての世界の景色が圧巻。とにかく知ってる国も知らない国も、みたことのないような構図と景色を見せてくれる。すごい。

写真表現については「世界を切り取る」「良さを見つけ、形にして、表現して伝播させる」というプロフェッショナリズムに最近思うことがあり、リスペクトが止まない次第。

現在はYoutubeも更新していて、動画というフォーマットとおもしろかわいすぎる旅の相棒を連れて彼自身の笑顔が溢れる日常を送っており、大変よい。

特にこの軽キャンというスタイルはこのあとめちゃくちゃ流行りそうだし参考になった。(車めっちゃ嫌いだし運転免許ないんだけど、これのために取ろうと考えたレベル)

どことなく編集が水曜どうでしょうみを帯びており、その辺りも旅好きを刺激する要素になっているのだと思う。

ドローンによる空撮映像も盛り込まれており、なんていうか編集にしても企画・構成にしてもどうしてこんなになんでもこなせるんじゃというレベルで、クリエイターとしてもリスペクトが止まらない。どうなってんのこれ。どうやったらこんなになるの。

話は逸れるが、写真や映像というもの、アートというものが自分の中で大変に尊い理由は濱田さんのnoteでほぼ言語化されてた。感謝しかない。

自分のニューノーマル:足るを知り、命や時間を納得のいく方へ向ける

こうして考えてみると、東京のど真ん中の大企業でチームや担当する事業を持ち、といういまの仕事は、もしかしたら今後適切でなくなってくるのかもしれない、と思ったりする。

幸い、業務負荷がとんでもなくかかるというよりは、むしろマネジメントやプロデューサー的なポジションのため、世の中の人たちからしたらいわゆる仕事っぽい労働時間はかなり短い(多くて1日4時間くらい)タイプではあると思う。その割に報酬も平均以上にもらえている。うまいこと、意思決定や自分自身の思想を価値に転換してマネタイズできたかな、と思う。

ただ、このままでよいのかについては大いに考える必要がある。それは今回の在宅勤務により「物理的な制約がなくても知的価値創造は可能」であるということが判明してしまったからだ。

もちろん、頼まれる仕事であれば、「目の前にいて欲しい」と言われるのが通常であろう。それは多くの仕事において品質や効率の担保のために間違いない。ただ世の中の生き方がすべてそうかと言われると、そうではないとも思う。もっと自由で良いのではないか、そのためにはまずは自分が柔軟になるために、身軽になる必要があるのではないか、そう考えている。

齢も30を迎えてしまうと、もう「一発アウトな致命的失敗」というのはなんとなく避けられるし、自分自身に耐性がついていると感じている。それであれば、リターンが見込める前提である程度のリスクテイクは強気で行っていくべきだし、直感的に動いてもいいのかもしれない。2020年の後半は、そういうことを考えて過ごすことになりそうだ。

とかいって勝手な旅してて会社クビになったら、各都道府県のみなさん、泊めてください。

なんつって。