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いま流行っているVALUや仮想通貨界隈を見て思うこと。

ブンブン、はろーいんたーねっと。

 

どうも私です。

表題の件について思うことがあったので書いてみる。

最近盛り上がってますね。
そしてよく聞かれます。
「仮想通貨ってどうなん?」と。

 

「手を出すべきじゃないと思うよ」と大体返しております。
もうちょっと正確に表現すると「(そんなレベルの理解度や質問しちゃうくらいなら、変にやけどしないために)手を出すべきじゃないと思うよ」です。
不器用なので優しさが変。

 

いや、流行るのはいいんですよね。夢があるし、実際に利益を上げている人もいる。
社会経済的な仕組みとしてはめちゃくちゃ面白い。(個人的には好きな部類)

ただまぁ自己責任だし、自分を含めたいわゆる素人レベルの頑張りでは、この二つのゲームには(いまこの状況下において)乗るべきでないだろうなあと思っております。

 

ぶっちゃけ通貨に対する投資も、個人に対するそれも、利ざや確保が利益の源泉であり、一番おいしいのは「仕入れ値が最大に安い」段階であるのは間違いなく。
いまにおいては「もうその段階は終わっちゃった」なのかなーと思っている。
VALUとかで言えば新規かつ優良な銘柄(個人)の発掘のフェーズが断続的に続くのでいいのかもしれんけれども。

とはいうものの、あれもいったい何がレバーになって市場が動くのかもよくわかんないし、中長期的な運用には向いてない感がすごい。
ソーシャルやリアルで影響力のある人たちの価値が高いのは理解できるんだけど、そんなもんみんなそうだし、情報が仕組み的な競争優位にならないので、売り買いが労働集約型になっちゃう。
じゃあお金ほしいだけだったら別に本業をそれなりに頑張ればよくね?と思ったり。

むかし昔、ある男がある村に現れ、村人たちに言いました。
「猿を一匹1000円で売って欲しい」と。
サルは村では珍しくもなく、そこら中にいたので、村人たちはさっそく森へ捕まえに行きました。
村人たちが捕まえた何千匹ものサルを男は一匹当たり1000円で購入し、
そのうちサルの数が少なくなってきたので、村人たちは捕まえに行かなくなりました。
そこで男はサルの値段を一匹当たり2000円にすると発表しました。
この新しい発表により村人たちはまたサルを捕まえに行きました。

しばらくするとサルの数がさらに減ってきたので、村人は捕獲をやめました。
すると男の申し出は2500円へと吊りあがりました。
しかしサルの数はかなり減ってきているので、捕まえるどころか見つけるのさえ難しくなっていました。
とうとう男は値段を5000円にまで吊り上げました。
しかしながら、男はビジネスのために町へ出向かなくてはいけなくなったので、
彼のアシスタントが代わりにサルを買いつけることになりました。

男が留守の間に、このアシスタントは村人たちにこう言いました。
「今まで彼が集めてきたこの多くのサルを、あなたたちにこっそり3500円で売りますから、
明日彼が戻ったら、それらを5000円で売るといいでしょう」
村人たちはそれぞれお金を出し合って、そのすべてのサルを一匹3500円で買いました。
しかしその後、村人たちは男もアシスタントも二度と見ることはなく、
ただサルだけはそこらじゅうにあふれていました。

株式のことが少しわかるようになりましたか?

出典:http://blog.livedoor.jp/nwknews/archives/4097193.html

 

この話で株式がどうこうっていうのが全て語られているわけではないけれど、気にしたいのは

 

・値付けのオーナーシップははたして公平なのか

・情報が俯瞰的に集まり、正しい予測や判断が出来る状態なのか

 

なのでございやす。

少なくともこの辺に自信が持てない、特定できない、モニタリングして瞬時にアクションできない、といった状態なのであれば簡単に手を出すべきじゃないのかなあ。と。

投資界のゴッド、ウォーレン=バフェットもこういいます、

ポーカーをやり始めて20分たっても、

まだ誰がカモかわからないのであれば、

あなた自身がカモなのだ。

と。

 

せっかくお金や時間をかけるんだから、ゲームの仕組みを理解しないくらいなら、そのゲームに参加すべきではないと思うんですよね。
選択と集中。

 

次なる有利なゲームを探しましょう。

 

 

なんつって。