ハローエブリワン。This is金曜日の高橋です。
そちらは何曜日ですか?
僕は2012年新卒として社会に出ておりまして、2015年1月から今の会社で働いております。
そんな2012年4月、働き出してまだ一週間のピヨピヨボーイだったころの自分の日記が、なかなかにそれなりで(まさかの自画自賛)、いまも時々読み返すのでこちらに転載してみます。
以下、転載—————-
この春から新社会人としてただいま絶賛研修中である。そんなのがいきなり「社会人になって思ったこと」なんて言おうものなら各方面から「まだそんなの社会人じゃない」なんて声が飛んでくるのだろう。
でも別にいいんだ、言い方が見つからんかったのもそうだし、たぶん生きてきて今が一番、そして初めて大勢の社会人に囲まれて生活している。そして思ったことが幾つかある。誰かに読んでもらうでもなく、自分がふと立ち返ったときに読めれば、それだけでいい。
以降適当に順を追ってメモしていく。
1.勝ちたいのならルールを知ることだ、そして勝つこととは、ルールを創ることだ
”「勝ちたいと思うのなら、まずはルールをよく知ることだ」。
ルール?そんなもの、もちろん知っているよ。と皆はいうはず。
勝負事にはもれなくルールがついてくる。スポーツでもゲームでも、それはおなじこと。そしてそこに参加する人はそのほとんどがまずルールに目を通す。ルールを把握しないと公平性が保証されず、そこに参加できないからだ。なので人々は、ルールに目を通す。目を通して把握するために。
一体何割の参加者がルールを研究するだろう。
王道で勝負をすると、そこで結果を分けるのは純粋なリソース量の多寡になる。正統的王道的な資本主義ルールのもとでは、時間、お金、体力などをより多く持ったものが勝つ。このルールは覆らない。
だが、世の中はそうでないから面白い。
抜け道近道邪道でもなんでも目的を達成させれば良いのである。もちろん目的の達成のみを目的に設定してしまうとゲームが破綻する。真面目にコツコツ努力をして一生勝てない「運命」とかいうものと戦わなくて良いのである。人間のアタマは何のために他の動物より容量が大きいのだろうか?
だからここでルールをいかに知っているか、理解しているかが重要になってくる。ルールとは、「守るために知る」のではなく、「破らないために知る」のである。
ルールを守ることを目的としたルールは、それ自体が奴隷となったあなたを縛りつける鎖となるが、目的達成を目的として歩み始めたとき、それはゲームを攻略する良きアドバイザーとなり、みちしるべとなる。”
なんてことを、偉そうに先日自分のTumblrに吐き出した。
そしてどうやら、この「ルールを知る」ということで得られる勝利というのは「ルールを創る」ことなんじゃないかと思えてきた。
どのゲームもやはり一番強いのはルールの支配者だ。会社で動いていると本当にいくつもの「こうだったらもっといいのに」にブチあたる。
誰がそうしてそうなったのかはわからないが、というよりそこにいる人々が無意識的に、流動的に「そう」したのだろうけど、とにかくそういう「なんかCOOLじゃない」ことが非常に多い。
うちで言えばたとえば会社の管理ソフトが古かったり、書類や決済の申請手順がやたらこねくりまわされていたり、新規事業がやたらビジネス偏りな判断をくだされたり(もちろん不満ではない)。
んでもそういうルールを管理できたら、それはたぶんとてもストレスフリーでクリエイティブでわくわくすることだろう。
しかもお金ももらえる。「その他大勢」がもらえないような額だ。そして同時にとてもたくさんの知識と、配慮と、責任がついてきて権限を必要とする。
だからこそ、ルールを創ることというのは、同時にすごくなっていくことで、えらくなっていくことなのかもしれない。
まだわからない。
入り口に立っているだけなので。それでも人事部から社内メールで回ってくる「昇格」は、見ていてやっぱり羨ましい。
はやくそこまでいきたい。そのためにまずは頑張るのだ。
とにかく勝ち方を、つまりルールを勉強する。
Outlines
2.ショートカットキーをひた覚えろ
ショートカットキーってあるじゃないですか、知らないなんて言ってられないんだ、こいつらの存在が。というのも知っているのと知らないのではお話にならないほどの差が生じる。
エクセルで扱う情報量の多さと言ったら、大学生時代のそれとの比較どころじゃない。しかも同時にそのデータの重要性たるや。一歩間違えればあっという間に翌朝の新聞の一面を飾れるレベルだ。そういうのを扱うことになる。
「そんなに重要なら手でやればいい」って、ところが皮肉なことに正確性においてはPCの方が信用できる、と言われる時代になってしまった。速さも正確性、ともに(表計算という分野においては)人類の手作業は敗北した。
「エクセルにある10000件のデータ、これから必要な要素を抽出してグラフ化しといて。」って頼まれて、ぼくらはどうすればいいんだろうか。
ある人は5分で作る。ある人は一日かけて作る。タチが悪いことに、こういう作業は製作時間が短い(=効率の良い)ほうが正確で的確で、ぶっきらぼうに言えば価値のあるものができあがる。
「富める者はますます富み、貧しい者はますます貧窮する」っていう法則はこういう作業にも当てはまるみたいだ。
ぼくらは皆で競走をしている。ただ、今までのような運動会の徒競走ではない。みんなが靴を履いて、地面を蹴って、走っていくのではない。
ある者は自分の足で、ある者は自転車で、ある者は飛行機で、またある者は魔法のようなテレポートで、ゴールを目指す。
変わっていないのは「ゴールに早く着いた者が勝者となる」なんていうルールだけ。
「どうたってそのゴールを目指すか」を決めるところから勝負は始まっていて、そしておそらくその時点で結果はほとんど決まっている。
出世したいなら「効率化」せよ。つまらないことに時間をなるべく割くな。おもしろいことをしろ。どんどん省け、
省けるものの価値なんて、たかが知れている。
3.仕事と作業をしっかり分けて考えろ
いまやっている行為は「仕事」だろうか、それとも「作業」だろうか。
この二つはそれぞれ分けて考えるべきである。
作業というのは誰がやっても結果が変わらないこと。
仕事というのはその人がやることに意味があること。
もし前者に取り組むのであれば、そのプロセスはなるべく効率化して省いたほうがいい。(もちろん正確であることが大前提で)その空いた時間をいかに生産できるかに意味がある。
「自分のためにならないことにいかに時間を割かないか」というのは、「自分のためになることにいかに時間を割くか」と同様に重要。
また一方で「作業を仕事化」することもできる。
それはブランディングと巷で呼ばれているものに近い。
なんでもかんでも仕事化していくと、それはいつしかブランドをまとうらしい。
「なんでもないことなのに、この人がやるとなんか違う」なんて言われる雑用のスペシャリストになればいい。
世界一の雑用には、おそらく雑用なんか回ってこない。
作業はなるべく早めにコンパクトに終わらせて、そして仕事にとりかかろう。評価されるのは作業ではなくて仕事の部分だ。
4.社内の環境はベストではない
社会人になって一番困っているのは「早起きができない」とか「時間がなくて辛い」なんてことではなくて、「満員電車がキツイ」とかでもなくて
仕事の環境が窮屈である、ということだ。別に人間関係がどうのこうのではない。
情報管理のハナシだ。
もちろん企業としてこんなことにいちいち文句を言っていても仕方が無いのだけれど、学生時代のPCの使い方から比べるといくぶん苦しい・非効率的な使い方になってきた。
というのを自宅にある私用のPCに触れていると痛感する。
もちろん会社のPCはできることができればいいし、さらにやっちゃいけないことをされると大変大変なので、そのへんにセキュリティが敷いてあるのは至極当然なことなのだけれど。
それにしても様々な機能制限がかかっている。
そしてそれはなにもPCだけではない。
自分にもいくつかの機能制限を課されることになる。それは言い訳となって現れるのでおもしろい。
「こうでなければ」「あれができれば」「いつもは違うのに」なんてことを気がつけば口に出しそうになっている。
それを出してしまったら終わりなのだけれども。
ベストエフォートで仕事力を語ってはいけない。良くも悪くも仕事はトーナメント戦ではなくリーグ戦なので、最高得点ではなく勝率で評価されることもある。
いつしか自分のベストエフォートは理想化され、よりますます一層遠く彼方霧の中へ消えていく。
そしてやがて神格化されたベストな自分を胸に秘めて、祈るようになる。その祈りがどれほど非生産的かは想像に難くない。
そんなことより働け、だ。
5.群れることは自分を平均化することと心得よ
やっぱり集団はラクだ。早く帰れない雰囲気、なんていうものは実際にある。とくに新入社員は研修内容によっては定時近くなると本格的にやることがなくなってきたりする。でも周りの先輩上司の方々はいつもどおりせわしく働いていらっしゃる。そりゃもう早くなんて帰りにくいですよ。帰るけど。
同期も同じく。みんな楽しいしいいやつばかりであろう。自分の同期を自慢できることは大切だ。彼らとは今後長い付き合いになるような気がしてならない(たとえ転職があったとしても)。
仲のいい同士で固まるのは楽しい。とても居心地が良い。それはなんでかというと、共感の嵐、価値観・ツボがぴったしで、何を言っても「イイネ」だし「wwwwww」が待っていて、自分のキャラクターと座席が用意されているから。様々なダメージの想定はいらない、生存本能が昼寝できる。それはもう理想空間。外からの攻撃からは守られて、内的コンテンツは日々増えていく。しかもそれは自分の価値観に最適化されている。
まさか、こんな虫のいい話がノーコスト・ノーリスクであるだろうか。否、もちろんデメリットも用意されている。
それは「自分の平均化」だ。集団があなたに最適化されていると感じているとき、ほぼすべてのケースであなたが集団に最適化されている。
その蜜を吸う者が集団内にいるかも知れないし、もしあなたがそうならそれは非常に上手いことだ。ただ、その蜜は時間と共に垂れ流されている場合もある。
消費ですらない、無駄になっているだけ。
個々人にはいろいろな「差異」がある。上手い人がいれば下手な人が出てくるし、早い人がいれば遅い人もいる。
近しい属性の集団というのはその性質上、「空中分解」を恐れる。つまるところ大が小を兼ねていて、小が大を兼ねていなかったら大は小に合わせなければならない。
遅い早いも同じだ。空中分解のない方にゆらゆらと不恰好に蠢いていく。そして空中分解のない方というのはたいてい「下方」であることが多い。
低いところのほうが、ものの在り方は安定する。
自分が(その集団内で)上位の人間であれば集団内の下限に合わせることでもたつき成長は鈍るし、中間層であれば危機感のない平凡に埋没するし、一番遅い人間であれば最悪なことに自分以外の成員の足をもれなく引っ張ることになる。
もちろん群れることすべてが悪いのではない。自分を平均に近づけることは大切なことだし、いつまでもエントリーせず枠の外側では意味がない。
それでも、方法としての平均化ならともかく、それが目的化されてしまうときっと「なにかおもしろくない」生活が待っていることになる。
6.寝る前に明日の朝することをひとつしてから布団に入ったほうがええで
これはほとんど自分に言いたいことなんだけれども。
「前倒し感」というのは実に大切なことなんだと痛感している。周りの人よりどれだけ前倒せるか、なんてことが意外と重要になってくる。
というのも、仕事は余裕のある人に集まりやすい(反対に作業は時間のない人に集まりやすく感じる)。
少なくとも周りより早くステップアップしたいのなら周りより多くの経験値が必要で、周りより余分な仕事・成果を出さなければならない。
ということはそのまま周りの人間より時間的・精神的に余裕がなければならない。
別に寝る前じゃなくてもいいんだけど、これが一番わかり易い。
明日のタスク・スケジュールをチェックしておく、明日着ていく服を用意しておく、明日の朝ごはんを下ごしらえしておく、洗濯物をたたんでおく。なんでもいい。
この前倒しが次の日にどんな素敵な経験に化けるかもしれない。そう考えればそこまでキツくないように思える(もちろんキツくない範囲内で)。
社会人と学生が大きく違う点のひとつに「まとまった暇」の存在がある。説明するまでもなく、社会人には「まとまった暇」がほとんどない。あるかもしれないけど間違いなく学生のそれに比べると少ない。
でもそこまで時間がないかというと、実は一日のなかに細切れみたいにぽつりぽつりとあったりする。これを上手く使っていかないといけないんだけれども、そう考えるとやらねばならんことも細切れにする必要がある。そしてその細切れの扱い方はどうも「これくらいなら後ででもできるだろ」といった”将来の自分にブン投げ型”になりがち。これはあまりよくない。今の日本の財政と変わらん。いつ回収すんねん、なんや死ぬんか、みたいな。
前倒し、前倒しに次ぐ前倒しで行きましょう。消化は早いほうがいいです。何につけても。
明日からもがんばろう
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というわけで、今の自分の社会人マインドとあまり変わってない、んですね。
むしろ、以前はものを知らない分、すごく純度の高い物言いが出来てたと思うし、我ながらハッとさせられることも多かった。
いやー、偉くなりてえよな。
なんつって。