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人生を進めるために自分に期待しないという話。

はいこんばんわ。雪ですね。

「帰宅困難に注意してください」って言われましたけど順調に帰れていません。

雪よりも仕事の方が帰宅困難者を生み出すこんな世の中じゃ。ぽいずん。

 

 

突然ですが、「自分を変える」にはどうしたらよいと思いますか?

誰かに宣言する、日記をつける、毎朝瞑想する…世の中にはさまざまなライフハックがありますが、こんな格言があります。

 

人間が変わる方法は3つしかない。

1番目は時間配分を変える。

2番目は住む場所を変える。

3番目はつきあう人を変える。

この3つの要素でしか人間は変わらない。

最も無意味なのは「決意を新たにする」ことだ。

 

ギクギクギクーッですよね。めっちゃ決意新たにしてたわ。

もう二度とこんなヤバいもん食べない!!ってラーメン屋で思ってたわ。

そうなんですよね、自分を変えるためには、自分を取り巻く自分以外の要素を変えたほうが良い。

 

これは、「自分を変えなきゃ!って思っちゃう状況な時点で、自力じゃもうどうにもなんねーよ」ということなのだと、自分では解釈してる。

 

ぐうの音も出ん。

 

ただ、この言葉は決してあきらめの言葉ではないとも思っています。

今日は「進歩のために、自分をあえて信用しない」、そんな話。

 

思考を止(と)めないために

みなさん、思考は走ってますか?

脳みそ、意思決定、状況判断、キレてますか?

 

そうでないことも多いかと思います。

特にこれだけ不確実性のあふれる時代。盤石だと思っていたプランも、不意に現れるブラックスワンに簡単にひっくり返されてしまいます。

わからないことだらけで不安だらけで怖いものだらけ。

そういう時に思考が停止し、判断や検討を放置したり放棄したり、時には自暴自棄になったりします。

でもそれはよくない。そんな時は、そもそも答えが自分の中にないことを自覚するのが結構大切だったりします。

 

・答えが自分の中にないということを自覚する

知らない、わからない、ならってない、やったことない、できない、そういう状況ってあるわけです。

ほかの人をみて思うならともかく、人がこれを客観的に自覚するのは難しかったりする。

 

でもそういうことはある。劣位ではなく、多様性と解釈しよう。

うだうだ凹むより、次のステップに進むことのほうが8兆倍有意義。

 

 

・なぜ「自分の中に答えがない」とつらいのか

これは学生時代の勉強がおおもとになってる人たちがすごく多いと思っている。

義務教育らへんの人格の担保って、いわゆる再現性の試験で行われていて、あの試験って、「知らないことを調べる」とか、「答えのないものを扱う」っていう知のアプローチが皆無なので、本当によくないよね。

結局、「答えがわかんないやつはバカ」だし、「自分で解けないやつは愚か」になってしまう。

ただ、繰り返しにはなるけど、この評価方法には「知らないことを調べる」とか、「答えのないものを扱う」っていう知のアプローチが皆無なのです。

 

・自分の中に答えを持つこと自体、時には無駄だったりする。

アインシュタインっているじゃないですか、アインシュタイン。超頭いいですよね?そんな彼は、自分の家に電話を掛けるとなったときに、電話番号をメモした紙を見ながらかけたことがあり、それを見た人たちは「えwwwwなんで自分ちの番号もわからないわけwww頭弱いwww」って笑ったらしいんですね。

 

それを見てアインシュタインはこう言ったそうです。

「なぜ、自分の家の電話番号なんて覚えないといけないのだ?こんな程度もの、メモ用紙が覚えればよい。」

つまり、彼は頭を使うことが仕事であり、覚えるためになるべく頭を使うべきでない、と言ってのけたわけです。

頭のよい人も、積極的に外部に答えを求めるわけですね。

つまらんテストのために、脳みそのキャパシティを無駄にすべきではないのです。

 

自分の中に答えがないときには

残念ながら、認めたくないけど、頑張ってるけど、答えが自分の中にないこともある。

そういうときはどうするのか、自分は以下の選択肢をとることを心がけています。

 

・外から答えを集める

中にないのなら外に探しに行く。

対象はだいたい身の回りの人、インターネット、本など。

なるべく1次ソースに当たるのが良い。気になることはだいたい原本や原典に書いてあったりする。いわゆる原典以外の情報、つまりは2次情報・3次情報などにあたってみても、一番根幹の部分が気になったりするケースが多いので、まずは原典から当たるのがお得感ある。

 

・時間がなんとかする

「これ、全然わかんないし見当Nothingだけど、いまやる必要ってあるっけ?」ということを考える。

そもそもその問題の答えを出すことが今必要なのか、なんらかのイベントがトリガーになって必要になるのか、別に全然いつでもいいのか、「必要に迫られるシーン」を想像して、「別にいっか」ってやつは、いっか。ってなります。意外と死なない。

 

・そもそも答えなんかないのかも

あるいはまさか、答え自体がないのかもしれないっていうやつもありますね。

時と場合によるわーってやつもこの類だし、いやいや算出するのが現実的じゃねーなあ、っていうやつもそうだし、そもそも正しいってどうやって判断すんの?っていうのもこれ。

実はこのパターンが結構泥沼で、答えがない系の問題って、意外と「考えてそれっぽい答えみたいなのが出る」とこまではいけたりする。ただ、”一つに絞るのが難しい”っていうのが多い。

そうなるとそこからは「それっぽい選択肢が並ぶ」ところまでしかいけない。でも実はその問題自体の性質上、それがゴールだったりもする。

そうなると、「どれでもいい(どれか選ぶ)」か、「どれでもいい(積極的には選ばない)」に着地することになる。

意外と死なない。(2回目)

 

難しい判断や問題っていうのに、みなさん日々ぶつかってると思うんだけど、自分の中に答えがないことは悪いことではないし、ないならないなりに次のステップにいこうね。というお話でした。

 

最後に、またまたアインシュタインの格言で好きなものを。

 

同じことを繰り返しながら、違う結果を望むこと、それを狂気という。

(アインシュタイン)

 

歩みを止めずに生きていこう。

 

なんつって。