はいどうもこんばんば。
少々肌寒くなり、秋服を引っ張り出す頃合いになりましたね。気が付けば9月ももう少しで終わりとのことで、時間の流れる速さにビックリマンです。はいどうも。
何回も言うておりますが、芸能人は歯が命だし、マーケターという生き物は情報やそれに触れる感度が命だと思っております。
というわけでちょっと気になったニュースをば、いくつか。
Outlines
ステュディオスのビール問題:カジュアルすぎる接客の是非について
ステュディオス店員が「ビール飲みながら接客していた」ツイッター投稿で炎上
このステュディオス、ニュースで拝見するまで存じ上げなかったんだけど、カジュアルな接客とか、顧客との距離感が非常に近くて、”新しい業態”とされていたんだそう。
結論から言ってしまえば、別にお酒を飲みながら接客をしてはいけないとは思っていないし、こういうスタンスはウケる層にはウケると思う。
結局はルールの整備なのよね。”そういうのが嫌い”な層に当てないようにやるべきだった。事前周知とか、記事内にも言及があるけど開始時間とか、そういうのを頑張ればよかったと思う。
いま「どうやってモノを購買させたらええねん」と日本中の企業のマーケターの頭を抱えさせるミレニアル世代や、そのさらに後にくる全然わからない世代ことZ世代なんかにとっては、インターネットインフラやCGMが購入意思決定に密接にかかわってきているし、そういう世代にとって最も効果的なのは「親密な第三者」だったりするじゃない。あなたかれこれ10年はそういわれてきたじゃない。
なので店員さんに友達感覚で相談できて、レコメンドされる、そういうコマース環境は、一つの解答例としてはすごくいいと思う。
あくまでルール整備。世の中いろんな差別化やPRの施策が炎上したりするけど、大体ルール整備と事前の説明義務を果たせば防げるよねーっていう印象でした。
そのオペレーションコストでティーンや若年層とのブランド距離を近づけられるのであれば、安いモンだと個人的には思う次第。
「愛はもって3年」、長いエンゲージメントや顧客生涯には実用性も不可欠。
「好き」は脳内麻薬の作用だから3年しか持たない。50年一緒の「結婚」は友情を前提に
人生に輝きを与えてくれる「好き」という恋愛感情だが、脳科学的にはドーパミンの分泌の結果得られるものだという事がわかっている。
まあ、つまるところ脳内麻薬によるドーピング反応と思ってもらえば差し支えない。
このドーパミン分泌だけど、残念な事にずっとは続かない。
持続期間はせいぜい3年程度が関の山であり、はじめの頃はあんなにもキュンキュンさせてくれた「恋心」という感情は、徐々に終わりを迎えてしまう。恋の始まりは突然だけど、終わりは定時退社なのだ。
なのだそうで。
対人的な愛に限らず、広くエンゲージメントと定義したときに、結局は「あー好き。あー…好きぃ…。ねえ好き…。」みたいなしゅきしゅきだいしゅき状態に持って行くよりは、それ以外の「一緒にいる理由」についても対策しておいたほうがいいよね、というお話。(って捉えちゃうからモテない)
脳科学とマーケティングって結構密接にかかわらせていくべきだと思っており、「現実的な錯覚」もある種のマーケティング的なアプローチなのかもね、と思ってたりする。
では50年続く人間関係とはどんな形態がありえるだろうか?
いろいろ考えた結果、僕は「それは友情しかないじゃないか」と思ったのだ。50年続く友情なら、50年続く恋なんかよりかはよっぽどありえそうだって思ったのである。
この筆者は友情と定義したけれど、他にもいろいろあるとは思っている。尊敬とか、信頼とか、実用とか。
それが対人間になっちゃうと言いにくいものであったとしても、プロダクトやブランドとユーザーの結びつきに紐づけてみてるんだから、たぶん大丈夫。(とか言っちゃうのでモテない)
最終的には、消費者の皆さんの良き相棒を創出することに頑張るんですよ、ビジネスデベロップメントってやつァ。(ビールグビッ
『モチベーション革命』と稼ぐために働きたくない世代について。
いいですかみなさん、私は若いモンがわからん。
若いモンが、わからんのじゃー!!
哀しい、とてもかなしい。もうおじさんっていうことなのか、時間の流れを首元に突き付けられ、徐々に若い人たちと話がだんだん合わなくなり、考え方は硬くなり、批判的になり、外野的になり、このままどんどんTwitterにいるみたいな老害になってしまうんだろうか、つらい。老害になりたくないよう><
というわけで、一般若年層の生活や価値観に興味がしんしんなのである。youtuberっていまやアイドルよりフォロワーを集めるし、それこそ若い子たちの心の掴みっぷりとかめちゃくちゃエグいっすよ?知ってます?
個人的に、youtuberという職種については、その名前は一過性のものかもしれんが、クリエイティビティのスタイルやエンタメ消費のムーブメントとしてはしばらく残り続けるだろうな、と思っている。すごい。
あと、身の回りでもそうなんだけど、全然お金じゃ動かない。
これってけっこうすごくないです??
Nulbarich(最近ハマってる)もNEW ERAって曲で言ってますけど、「自分のペース守ってhappy」なんですよ。
この書籍はきっとその辺についても解説してくれるだろうとか期待しつつ、予約してみた。
筆者はあの「プラットフォームおじさん」兼「ITビジネスの原理おじさん」こと尾原さん。(めっちゃほめてる)
尾原さんはとにかく構造化して説明するのが上手い。なかなか言語化できない概念なんかを、「そうそう、言いたかったのそれよー!!」に落とし込んでくれる。もちろん新しい気づきもたくさんくれる。
なので期待しているのである次第。読み切ったらちゃんとレビューしよう。
【電通・博報堂】今年の広告賞も、やっぱりあの代理店とあの代理店が席巻している話
2017 57th ACC TOKYO CREATIVITY AWARDS 入賞作品リスト インタラクティブ部門
広告というよりはアートでしょうか。こういう広告クリエイティブって、「商業的な機能目的をもったアート作品」と勝手に定義して「どれどれぇ…」みたいに毎年見てるんですけれども、まあ結局はDさんとHさんが席巻するわけですね。そういうクライアントとの商流もそりゃそうかもしれないけれど、やっぱりクリエイティブにかけるリソースと覚悟が違いますね。
いいですか就活生諸君、君たちの思い描いている広告っていうのはこの辺のお話じゃないかい??
実はインターネット広告業界とこういう広告業界は違うっていうのを知っていたかい?
要ちぇけら。
東京暮らしはキラキラを競うレース?レースを降りるという一つの正解について
これめちゃくちゃ面白い。
移住する事でなくなった事の多くは、やっぱり居住圏内に存在しなくなったもの、という物理的な事柄なのだけど、総じて「レースを降り(られ)た」という答えになる。
一方で信州には、そのような誘惑スポットが少ないので、そういった資本主義のルールに従わなくても、生きることに満足を得ることができる。
信州で消費をする喜びは、例えば直売所に行って地元の農家さんの野菜を買うことだったり、隠れ家的な美味しいレストランを見つけて通い詰めることで、そのお店の営業を応援することだったりする。
つまりは「生活が”地”に近づく」という感覚なのかなあ、と思ったりした。
いわゆる「豊かな暮らし」とか、「シンプリニスト」「ミニマリスト」みたいな、透明性の高く、価値観をあえて客観で定義しないライフスタイル。
都市は消費を生み出す装置だ。どんなものに消費をするかによって、資本主義のヒエラルキーのどこに属するかは定義されてしまう。生活の中で欲望を刺激され、本当は必要のない服を買わされ、ソーシャルメディアに投稿することを目的として流行りのレストランで食事をする。
もちろん、それらの消費行動が本質的に意味が無いことは、なんとなくわかっている。自分もそのように感じていた一人だった。けれども、都市に住んでいると、そして住み続けていると、その価値観から逃れることが難しくなってしまう。
信州に住んで本当に失ったもの。それは、都市生活の習慣ではなく、都市生活で体に染み付いていた価値観だったかもしれない。
個人的には、「あえて都会型のゲームに参加してみる」という生き方もありだなって思った。バチェラーだの東京カレンダーだの恋愛工学だのを摂取して「ウオオーおれはやったるぜェェェ」「アタシもやったるわよー!!」みたいな人生だっていいじゃない、と。
みんな、結局限られた時間を生きていて、どのように生きるかは(やるかやらないか、という分岐を越えてしまえば)結構自由だったりする。
大切なのは、自分が何に満足をするのかな、という自身の幸せを早めに定義しておくことだよね、とも。
これ、いいブログだなーと思ったら、元Twitterおじさんことタイトさんのブログだったのですね。(お世話になりました)
いまはtripadvisorにいらっしゃるとのことで、なんかあったらオフィス遊びに行きたいし飲みに行きたいと思いました!どうかこの辺鄙なブログに気づいてあそばせーーー!!!
なんつって。