はいどうも。年が明けましたね。
いろんな人が振り返り的なことをしていて、それis very goodじゃんって思ったので、自分の身の回りで見える2018年のふりかえりなどをしてみる。
ほとんど将来の自分に対する忘備録だったりするのでニーズは知らんけど、とりあえず思ったことをだらだら書いてみることにする。
何かの答えにはなってないけど、半年後とかにまた見て「へえー」って思えればいいや。そんなテンションでかく。
Outlines
「マクロなシステム」と「ミクロな物語たち」の対比構造は引き続き進行する
大局から述べるとこういう表現になる。
インターネットやSNSアカウント、ニュースフィードと常時的に接続されたスマートデバイスを1人が1台以上持つ時代になったことで、旧来の「大きなシステム」によるコントロールが枝葉の先まで利ききらない、というシーンが多く見られた。
それは政治や宗教から、ここの購買行動、ネット上での振る舞い、オフラインでの振る舞い、人生の意思決定などにおいて、少なく無い時代の変化に影響され、また一方で時代に反映されている。
広告市場でいえば、一時期は多大な影響力を持ったマスプロモーションも、いまでこそ影響力自体は強いものの、一方で個人や媒体に細分化されたオンラインプロモーションの重要度や有用性も明らかになってきている。
個々が、どんどんニッチな自我を持ち、アクションを取り、何かを発信しうる。そこにネットワーク効果が生まれることもある。あるいは、外部には発信されなかったとしても、大きな熱量を生んだりもする。
そういう時代の大局は、2018年も継続して加速の一途をたどって来た。
ソーシャルメディアバブルが飛びそう
とりあえずネットワーク性とか承認欲求を増幅させてユーザーの可処分時間を取りに行くタイプのビジネスモデルが結構限界きていそう。
というのも、大手のプラットフォーマーに対して「利用とユーザーの中長期的な幸福が直結しない」というデータが軒並み出てきたように思う。
参考としてはこちらもおもしろい。
A new study finds that cutting your time on social media to 30 minutes a day reduces your risk of depression and loneliness
https://guilfordjournals.com/doi/pdf/10.1521/jscp.2018.37.10.751
主に生活リズムの乱れによる身体的なダメージや、いじめ、コンプレックス、FOMO(fear of missing out=なにかコミュニティから置いていかれてるように感じる不安感)などでスコアリングしている。
またそれに対してサービス提供側も、Youtubeをはじめユーザーに使いすぎないようにアラートをあげるという仕組みを導入するところも現れた。
米Facebookは8月1日(現地時間)、FacebookとInstagramの公式アプリに使いすぎを防止するための機能を追加したと発表した。設定した時間を超えて利用を続けようとすると警告を受けるように設定できる。現在“ローリングアウト”中だ。
こうした中毒防止機能は、米Googleおよび米Appleがそれぞれの次期モバイルOSに追加する計画だ。また、Google傘下のYouTubeのアプリにも5月に休憩のリマインダー機能が追加された。
いわゆるドットコムバブルに続いて2006年頃から突入したソーシャルメディアバブルがこの頃成長限界を迎えているように思われる。そもそも、ソーシャルメディアバブルのマネタイズエンジンは広告であり、PVが経済指標になるネット広告自体も同時に今後いまのようにあり続けられるのか、というと業界構造的に怪しいと思っている。
一方でオンラインにコンテンツやファンクションを提供することによるベネフィットの得かたが本質的に進化するのであれば、これ自体がインターネットそのもののを次のステージに変えてしまうことにつながるとも思っていて、期待してたり、あるいは自分もいろいろと実験していきたいと考えている。
今度はD2Cバブルがくるのであろうか。あんまりそうは思ってないけど。
じゃあ続いてその後はどうなるんだ?
ある界隈では「D2C」ブームがくるらしい。D2C、広告業界で仕事してる人間だと「電通さんとドコモさんのジョイントメディアレップ・・・?」みたいな反応をしてしまいがちだけど、全然異なる。
D2Cとは「Direct to Consumer」の略語であり、つまりは生活者に対して直接的な販売チャネルを有した事業モデルのことだそうだ。
個人的には「生活者に直接的な販売経路を持つ」こと自体は昔から存在していたので、なぜに今さら??と思っていたのだけど、どうも周りの話を聞いていると以下の3点に現象が起因していそう。
1.技術の普及と進歩による製造業ハードルの低下
2.マーケティングツールの進化によるインハウスマーケティングの普及浸透
3.Eコマース環境の整備とユーザーインサイトの醸成
つまるところ、3Dプリンターや新素材の開発などによりもともとは参入障壁が非常に高かったハードウェア産業への参入が簡易化している。これにより世の中のニーズに応えられる幅と機会が拡大しており、「ものづくり」がより進みやすい時代になってきた。
さらに製造した商品の販路を拡大していくにあたり、広告代理店による認知経路の確保がいままでの定石であったが、オンライン広告を中心に、獲得(ダイレクトレスポンス)を目標とするマーケティングコストの投下は、GoogleやFacebook、Amazonを始めとするネットの巨人たちの進化により、かなり簡易化された。筆者の肌感覚でおもうに月間で2000万円以下のオンラインマーケティングコストであれば、代理店などの専門コンサルタントをつけるまでもなく、それなりの効率でビジネスをスケールさせることが可能だと感じている。
さらにおまけで付け加えれば、最近はマーケター界隈の独立・移籍の話題がびっくりするほど多い。これも一要因として効いてるのかもしれないね。
また、Eコマースという文化自体が、スマートフォンの台頭によりユーザーの近い距離にいられるようになったという変化も大きそうだ。それまでは基本的に営業代行会社、販売代理点などによる物理的なセールスポイントの確保に加え、合わせてロジスティクスの確保などが商いを進める上で前提であったが、この辺りも(いわゆる)民主化がしっかり進んできており、特に後者に関しては外部参入者や新規参入者がチャレンジしやすい環境が整ってきている。
出版市場のように、未だクローズドな既得権益的な商流主義文化もあるそうだが、多くのジャンルにおいて、現状そうではない。
つまるところ、概念としてはだいぶ昔からあった「真っ当な商い」なのだが、最近それが外部要因の変化、主に専門性やオールドスタイルな実現までのマージンの削減などを理由に再度盛り上がりを見せてきているということと認識した。
多くのYoutuberにとって飛躍の年となった2018年
いきなり話は変わるが、Youtuberという職業はいまだにいろんな方面から注目度が高い。
一方で、Youtuberのいう「好きなことをして生きていく」を、視聴者も、そして本人たちも改めてより深く理解することになった年なのだと思う。
ちょくちょく露出も増えてきているので知ってる方も多いと思うが、youtuberの働き方はかなりしんどい。いままで専門的な分業とされてきた企画、演者、演出、編集をほぼ自分たちで回さなければならない。
また、YouTube自体も、クリエイター支援は進めるものの、基本的にAdsense(Youtube広告収益)の仕様はよりハードにしていく傾向がある。Webメディア業界で「脱・広告依存の生存戦略」が求められて久しいが、Youtuberもまったく同様で、Youtubeプラットフォーム上で築いたファンコミュニティや認知力をうまいこと収益に結びつけていかねばならない。
大手クリエイター事務所のUUUMも、専ら「イベントの手配」などのクリエイター支援が多くなってきていることも頷ける。Youtuberは、皮肉にもYoutubeの外に上手くでていかないと生きていけない未来が来つつある。
一方で、そんな彼らが自身の視聴者と築き上げた関係性は、資産として見ると非常に面白い。インフルエンサーマーケティングをうたう代理店はもちろん、彼ら自身も、またそこに目をつける広告主となるマーケターも、まだそのうまい使い方を見つけられていないように思える。
Youtuberが持つこの資産は、いまのまま情報だけが大量に生み出され、ユーザー自身の興味関心のフィルターに最適化されていく現在のインターネットの未来を握るような、ユーザーも、インフルエンサーも、そしてスポンサーとなる事業会社も、全員で大切しないといけない重要な財産のように感じる。
なんてったって、彼らの持つコンテンツも、コミュニティも「made by us.」なのである。
動画のネタを募集する、質問を募集する、企画に協力してもらう、イベントを開く、Tシャツを作る、署名を集める、彼らは常に彼ら自身の視聴者たちと共にあった。
ユーザーと演者が同じ目線に立ち、アウトプットに影響を及ぼし合っていく。こんなに近しい距離でユーザーと対峙できるマーケティングチャネルを私は他に知らない。いけてお茶の間、TwitterのTL、Youtubeのプレロールだ。情けなさすらある。
Youtuberは、このまま影響力を強め続けて行くと何になるのか、それはまだ誰にもわからない。彼らは毎日ハードな業務の合間にも、「何が視聴者に喜んでもらえるのか」「それをどのように自分たちは表現できるのか」を本気で考えている。当たり前のようにも聞こえるかもしれないが、果たして山手線に乗って各社のオフィスに運ばれる我々のうち、何%が彼らと同じような本気度でユーザーのことを考えているだろうか。
もしこのまま広告を用いたコミュニケーションが、(仮に相対的にであっても)その効果を落とし続け、ユーザーの行動意思決定のシーンに介在できるチャネルとしてYoutuberが残り続けるのであれば、彼らが今後担うポジションは非常に重要なものになりそうだ。
その他、気が付いたことはつらつら書いていた。
たとえば、マスプロモーションの力技で動かせる人たちが、少し少なくなって来ているという話と、マスでないコミュニケーションがどのように人を動かして行くのかというレポート。
「【行って来た】PR Tableさん主催、PR3.0カンファレンス@虎ノ門ヒルズ【超長文まとめ】」
まず第一に「マーケティングの効力には限界があるし、最近それがどんどん近づいてきてる」と感じているからだ。
マーケティング、殊に自分の勤める会社のように結構大きな組織だと、それぞれのチャネルや投資ラインによって「期待される指標はこう、それが実現されるであろうロジックやアルゴリズムはこう」といった、データ・ドリブンといえば聞こえはいいものの、とにかくデジタル化が進んでいる。
こういうところにおいて、マーケターの勘や予想は、以前より精度を増して当たりやすくなる。と一方で「当たりやすくなる」あまり「常に当てることを期待される」ようにもなる。そうなったとき、仮説や置きたい状況をデータ・ドリブンに設計してしまうと、それは「精度の高い予測」に他ならず、非連続だったり想定以上のレバレッジの効いた実績にはなりにくい。最悪、目先の指標に囚われて縮小再生産のスパイラルに陥る。
最近の学生たち(20歳前後)と話して見て感じたこと。
「若者のカルチャーを冷たく暖かく掴む、「チル(chill)」という見えない本流に浸る。」
いかに「さめ」た年代とはいえど、新たなブームを作ることは可能であり、むしろ彼らのいる環境においてはテーマがニッチになる一方でインターネットやスマートデバイスを中心に接触時間を大きく引き延ばすことができるため、接点をしっかり設計したりメディアや消費者行動を有効に活用することで、エンゲージメント深度を強化することが可能になる。
この”チルの谷”をいかに超え、熱狂や盲信を作っていくか、がすべての人に対して試されているように感じている。
少なくとも、新規性のなさや、圧倒的な体験へのインパクトがなければ、なかなかに熱狂を作り出すことは難しい。
そのため、ビジネス設計や認知のポジショニングについては引き続き重要さは言わずもがなだが、彼らの選択眼にしっかりとハマり、この「チルの谷」を超えていけるようなストーリーテリングや、インパクトの提供が、今後のマーケティングのお仕事の中枢に来そうだなと、そう思ったりしたわけです。
いま、若くてかつ「すごいね」って言われてる人たちは、パーソナルリアリティの強い人たちだなあ、と思って書いたエントリー。
「人は見たい現実を見る。パーソナルリアリティ(Personal Reality)について」
現実世界においては、魔法使いも呪術使いもいなかったりするけども、科学を駆使して超能力のようなことをやってのける人たちはいる。
それは超常現象とかではなくて、ある理論の上で、やるかやらないかによって分岐した未来や結果をたぐりよせる力と言って過言ではないと思う。わかりやすく言えば、めちゃくちゃ仕事ができる人はきっと、そういうパーソナルリアリティを見ているんではなかろうか。
つまり、「起こりえない」ということをどれだけ「起こって当たり前と信じきれるか」に尽きる。
体から電流を出す、瞬間移動をする、手を使わずにものを動かす、というありえなさを体現するのと、「業務として難易度が高い」「技術的に不可能っぽい」「そんなこと自分にはできない」のをやりきるのは、実は同じ精神の動きなのかもしれない。
偉大な経営者は「ビジョナリスト」であることが多いよね。
大きな企業、小さな企業に限らず、会社や事業というのは「変えたい現実」があって世の中に生まれてくることがほとんど。
世の中を変えるというのはそれなりに労力を伴うが、そこをパーソナルリアリティで補完しているのかもしれない。そうでもなければ頑張れないでしょっていうのが「ハードシングスあるある」としてまとまってたりするくらいには。
元旦に走り書き。これはいい夢が見れそうだ。
なんつって。