どうしても、時間があるといろいろ考えごとをしてしまいがちだし、そういう話になりがちだったりするよね。

すべてのひとが勇者ではない

最近、人生には明確なただひとつのゴールがあるわけではなく、むしろ小さい自分の夢をいくつ叶えていけるのかという生き方もあるように感じている。
つまりそれはなりたい職業だったりなりたい自分というものが、人生のフェーズや外部の環境によって変化していくことを認めるという人生観の動きである。

昨今の社会情勢の変化や、もちろん個人レベルでの外部環境の変化、技術の進化、友人・人間関係の変化、収入や職業の変化、自分自身の価値観の変化など、世の中はとにかく変化に満ちているし、なんならさらに激しく、そして不確実に変わっていくと思っている。


そんな現代で”どのようにして生きるのか”ということに悩む人が比較的多いと考えている。もしかしたら自分や、自分の周りの人だけなのかもしれないけど、そうにしたって少なくはない。

つまりは「夢がないんです」「情熱をもって取り組めることがないんです。」という話。その背景には今まで信じてこられたような、「たったひとつの大きな夢を成し遂げるために生きていく」といった、主人公的な人生であるべきとする価値観があったのだと思う。

大きくない夢をいくつも持ち、かなえていく。

でもこれだけ何にも保証されない今、それだけでは少し柔軟性に欠けるのではないかと思った次第である。
もちろん、これは”ひとつの大きな夢を追いかけ続けること”を否定するものではなく、「そういう価値観ではない人がいてもいたっていいじゃない。」というひとつのアイデアである。

例えば学生時代はバスケットボール部で全日本優勝したいという夢に向かって頑張っていた少年も、学校を卒業してからは就職した会社の営業職の成績で一番を取りたいということに全力を出すのもいいと思う。これは決して「バスケで日本一の夢を捨てた」のではなく、夢を変えたのだ、なぜなら彼が身を置く環境が変わったから。
またその後は趣味の音楽に打ち込んでもいいし、ふとしたきっかけで始めた写真や園芸に打ち込んでもいい。SNS を頑張ったり仕事に全力投球を出したり、転職を経てスキルアップを続けていくことも良いと思っている。

これらは往々にして、何か具体的な出口や人生の終焉に向かって、統一的体系的に必要だからやっているのではなかったりする。明確なゴールのないことは無駄なことか?と言われてもそうは思わない。人生を彩り豊かにするために、人はやりたいことをなんでもやっていい。(法を侵したり他人に迷惑をかけない限りは)

そういえばスティーブ・ジョブズも言っていた。

人生をゴールから逆算することはできない、できることは、“Connecting the dots (後から点と点をつなげる)“なのだと。

https://www.youtube.com/watch?v=iPseaH5r7RE

効率的に、ただひとつの夢をかなえるのがよい人生なのだろうか、きっと多くの人は「それだけが人生ではない」と言えるだろう。だとしても、頭ではわかっていても、無意識に自分をそのように縛り付けていたりはしないだろうか。他人を許せる人も、意外と自分を甘やかすことが苦手だったりする。いろいろ複雑になり、ピリついてる最近だから、尚のこと気をつけていこう。

“Dots”な自分の気持ちを許そう。

あとでつながり合うかもしれないDots、一時的なこれらの頑張りには、そのときですら明確なゴールがある時とない時がある。どちらがいいとか悪いとかではなくて、“ゴールがないという状態を認めてあげること”も大事なのかなと思っている。だっていつの日かゴールが見つかるかもしれない可能性を否定できないから。行動を起こしたり日々に変化をもたらす動きは、それだけで無限の可能性をもっている。何も行動しないことと比べれば。

結局、自分が意外と気分屋であることを認めることを厭わない人が生きやすい世の中になったのかなと思っていて、それは、そうではない人の出来が悪いというわけではなく、世の中がどんどん不確実な方向に転がっていっているからである。点数をつけて正解不正解なのではなくて、結果的に得をするか損をするか、気が楽なのかストレスフルなのか、そういう話だと考える。

昨日までの日常はこの先ずっと続くとは限らないし、今までの正解が突然不正解として突きつけられることもある。多々あるだろう。

こういう時期なので自分の目標や夢というものを棚卸しする際に、その夢がもしかしたらすぐ達成できてしまうかもしれないという場合や、複数あってどれかに絞ることができないということもあるかもしれない。

個人的にはそれらをすべて認めてあげて、そこから適切な順番だったり優先順位というものをつけていくのがいいんじゃないかと思っている。世の中これだけ変わっているのだから、そのなかに生きる自分が一切変わらないっていうのは自分にとってかわいそうな縛りなのではないかなと思う。

もちろん実際問題うまくいくかどうかという観点で、たくさん同時にあれこれ手を出すということは得策でないことが多い。だとしてもきっと叶えたい夢は小さくてもいいしいくつあってもいい。そのどれかに打ち込んでいられる日々が、これからの「人生」とかいうものなのかなーと思っています。

つなげて、そして将来の自分が「なんだかんだ意味があったなアレ」と思えるDotsが必要だ。

やってみたいこと、気になってること、きっとあるでしょう。意味がないから、お金にならないから、失敗しそうだから、もっと上手い人がいるから、もちろんそうでしょう。実際にはそうであることの方が遥かに多い。

でも、だとしても、それがチャレンジすべきでない理由にはならないよね。将来何がどうなるかなんて、誰にもわからないのだから、やってみたらいい。途中で辞めたっていい。気が向いたら再開したって、誰も怒らないし批判しない。そういう時代に生きているんだから、しょうがない。

自分もそういう生き方をしようと思って、自戒もかねてかいてみました。

ビビってなんもしないほうがダサいぜ?

なんつって。