こんばんわ。久々にマーケターっぽいことを書こうかなと思ったりする夜。

こういう話をします。

みなさん二郎って知ってますか二郎。ラーメンです。いや、二郎は正確にはラーメンではなく二郎なのですが。ラーメンによく似た食べ物です、とにかく。スープ、麺、具。そういう構成で、国内に店舗が複数あり、一部の界隈では絶大な人気を誇る食べ物なんですね。今日はその「一部の界隈で」っていうのがキーワード。

クラシルというサービスがあります。これは料理のレシピ動画を中心に、食にまつわるあれこれを展開するメディアですね。わりとキレイ目に進化発展を遂げていて、いまやクックパッドさんを追いつけ追い越せとかそうじゃないとか。

食にまつわるこのクラシルが、いわゆる二郎系メニューにスポットライトを当てたことからはじまります。

こんなかんじに。

https://store.kurashiru.com/products/277

製麺所のECサイトなんですかね。いま改めて見てみたけどああ旨そう、おお旨そう。マジでこの時間にみるんじゃなかったと後悔。とにかく旨そうなわけですね。

そんでもってその反応にこんな感じのレスがあったんですね。

ふむふむなるほど。本家(亀戸店さんですが)にも届き、「二郎(系)を語ることに対してあんまりすんなり受け入れられていないという反応でした。自分はこれを亀戸二郎さんのテイクアウト二郎を狙ってる中で目にするわけですが、考えようによっては時代を象徴する不和だったのかなあと思う次第です。

インターネットによりトライブ(部族)が細分化された

つまりどういうことか。インターネット、特にSNSにより情報の流れが大きく変わっているここ10年くらいですが、何がどのように変わったのかというと、大きく分けて2点あるなと思っているわけです。いや、もっとあるんだけど今回の趣旨にあんま関係ないから2点にさせて。

発信者増加に伴う情報量の増加

これはシンプルに、いままで雑誌やテレビ、ラジオ、書籍といったマスメディアとざっくりまとめられる媒体での情報流通が中心だった頃と比べ、アカウントを作り次第ツイートしたり投稿したりカキコしたりできるサービスが整い、圧倒的に情報発信者が増え、その結果世の中、そして個人が接触する情報量が増えたという事実。まぁ、特にこれ以上の説明が要るとも思えないのでこんなかんじ。

情報に対する受動的フィルターバブル

フィルターバブルという現象が起こっておるわけです。「ふぃるたーばぶるってなに??」という人はWikipediaっていうサイトに詳しいことがかいてあるのでおすすめです。

ちなみにこんなことが書いてある。

自分の欲しい検索結果が返って来るようなアルゴリズムを持つwebサイトほど、良いwebサイトだとユーザーに評価されるので、各サイトの検索アルゴリズムはますます進化したが、一方で、検索サイトのアルゴリズムがますます進化して、ますます自分の欲しい検索結果が返って来るようになると、最終的には、自分の見たい情報(実際は、検索サイトのアルゴリズムがそう判断した情報)以外をインターネットで見ることが出来なくなる。そして、自分の観点に合わない情報から隔離され、同じ意見を持つ人々同士で群れ集まるようになり、それぞれの集団ごとで文化的・思想的な皮膜(バブル)の中に孤立するようになっていく。この現象を「フィルターバブル」と言う。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%AB%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%90%E3%83%96%E3%83%AB

うーーん、でも個人的にはこれってちょっと微妙で、もちろんアルゴリズムによるものもあるんだけど、検索エンジン以外のサイトにおいては、「何をみるか」をユーザー自身が事前にフォローというかたちで決めていることもあるし、ソーシャルメディアにおいてはアルゴリズムが引き起こすというよりは、「自分が知りたいと思っている情報しか見なくなる」というユーザー側の負の変化によるものでもあると考える。

まあ、とにかくそういうのがあるんですわ。

トライブには独自の文化・価値観・思想がある

インターネットがまだ「ウェブ」と呼ばれてその進化論などが議論されていたり、ソーシャルメディアという意味でのBBS(掲示板)が大流行したりしてからかれこれ10年が経とうとしていて、インターネットを与えられた人間の行動特性のひとつが明確に見えてきている。それは何かって言うと、「トライブ(部族)化する」ということだ。

トライブには様々なジャンルがあり、そのジャンルに基本的には賛同する人たちが集まり、共通の話題や思想についてお互いに情報を発信・受信して価値観の再強化を行っている。音楽が好きな人、サッカーが好きな人、写真が好きな人、花が好きな人、電車が好きな人、アニメが好きな人、仕事が好きな人、お金が好きな人、ゲームが好きな人、サウナが好きな人、ジャニーズが好きな人、などなど。きっとあなたにも「トライブ」があるはずだ。

この点においてもトライブは、時として、外部の平均とは異なった価値観や思想、そして外界からはなかなかわかってもらえない文化や文脈を持っていたりする。この点においても思い当たるところはいくつかあるんじゃなかろうか。

たとえば自分で言えば、

・Single Oの豆は至高

・やっぱり夏は千里眼の「冷やし」

・アウターアリレートはマジで名作だった

・打鍵感はじめとして誰にでも勧められる打ち込み用フルサイズキーボードの大王道はやっぱりA49

・BCAAはやっぱりXtendのビターライム

 などなど。

「なんのこっちゃい??」だと思うけど、わかる界隈では「それそれのそれ」の嵐だ。

つまるところ、トライブの中と外ではそれだけ価値観や文脈が異なっている。そして、トライブの内部にいる人間は普通だと思っている。この断絶のことをどうか本当に忘れないで欲しい。

トライバルな現代の情報社会とマーケターはどのように向き合うべきか

どんなに細かく、小さなトライブにも、そこでリスペクトされる文化や文脈がある。そしてそれは、外部からはなかなか気が付きにくい。それに気がつかずに土足でそのトライブの中に入り込もうとすると、そこにいた人々から大きく反感をかったり、そのトライブ自体を破壊してしまうことにもなる。現代において、これだけコミュニティが細分化され、価値観の多様化とマイノリティ文化の尊重が進んでいるなかで、外部からお邪魔するものはその生態系を壊さないように非常に慎重な振る舞いを求められることになる。

昨今、そういったトライブとの連動をマーケティングの施策に活用するキャンペーンがいくつかあるが、むしろ今までより細分化されているからこそ、その保全と尊重には最新の注意を図らないといけない。

冒頭に紹介した二郎系だけでなく、ラーメンでは濃厚魚介豚骨のつけ麺ルーツ、家系ラーメンのルーツなどなど、表層からは見えない奥深さと文化が根付いている。あまり中途半端な知識で踏み込んでしまうと、失笑を買うだけでなく、思わぬ反発を受けることがある。

これからのマーケターに必要なのは「共感力」と「リスペクト」

とはいえ、特定の文化や価値観に対して熱量を持っているトライブというセグメントは、マーケターにとっては非常に魅力的な顧客プールでもある。そこに存在する文脈を細かく拾い上げ、価値観を尊重したアウトプットを出せば、そのコミュニティだけではなく、そこから発信されたUGCにより同心円状に施策効果を広げることもできる。先述もしたが、すべての人は、受信者であると同時に発信者でもあるのだ。だからマーケターはこのトライブとの協奏から逃げるべきではない。

上手くいってるのかはさておき、ぱっと思いつく攻めたな〜という事例をいくつか持ち出す。

https://www.youtube.com/watch?v=DOacGGRLi64&feature=emb_title

https://twitter.com/currymeshikun/status/1265462728589578240

https://style.nikkei.com/article/DGXMZO58384840T20C20A4000000/

どう考えても麺にアンカリングされています。ほんとうにありがとうございました。

(特に意識せずに思い出した順に並べてみたけど、こうやってみると味をしめてますね日清さん。)

音楽でも攻めたコラボ。安室奈美恵さんとVocaloidの初音ミク。

https://www.youtube.com/watch?v=NO4faIIpTeE

これは8年前のGoogleのCM。対象のコンシューマプロダクトはGoogle chrome。まだ当時は「オタクのおもちゃ」とされていた初音ミクを大抜擢。

ゲームも多かったりするよね。

とまぁ思い返せば、いわゆるコラボなり、キャスティングなりで、自社製品だけではないクリエイティブの拡張性を用いてプロモートすることは、昔から数多く行われてきた。

トライバルなマーケティング施策自体は、実は非常に着想しやすい環境になってきている。つまりは情報のアクセシビリティがSNSなどによって容易になっているからだ。独自のカルチャーや、そこに集まる熱量のピックアップは簡単になってきている。バズってれば見える、ただそれだけだ。しかし一方でそこからの掘り下げが非常に難しい、というか細分化に伴い難易度が上がっている。自分自身がその文化圏の当事者であれば、まるで自分の家の庭のように設計は容易だろうし、リスクのリストアップも、効果的なクリエイティブの制作ディレクションも困難ではないだろう。でも異なった場合はどうすればいいのだろうか?

自分が以前、上記のようなテーマで相談にのっていた際は、担当者に「最大限の共感とリスペクトを持って、わかる誰かに任せて一緒に進めろ」とアドバイスした。

多くの場合、トライブにはクセがある。そのクセにハマっている人たちで構成されているので、常識的な第3者の目からすればアウトプットとして出来上がった成果物に対して「えっ??」と思うこともあるだろうと思う。しかしそこにある常識的な目というのは、トライブには求められていないことが多い。彼らが熱狂するコンテンツやキャンペーンに、冷静で、普通な目はいらない。お祭りというのは”中途半端が一番冷める”

「相手を尊重する」ことがマーケターキャリアの生存戦略なのかもしれない。

今後も引き続き人々は小さなトライブをたくさん創造し、そしてそこに所属していく。ある程度ターゲティングを要するキャンペーンであれば、ターゲットとなるトライブ内の理解は不可欠だ。

もちろん、自身の価値観や趣味からかけ離れすぎていて、共感できなくてもいい。ただ、理解し、容認することは可能なはずだ。そして、自分自身が「そのトライブに所属しない」という自覚と共に、わかる人に依頼する。自分はゴールに吸い込まれるそのシュートを支える左手のごとく「添えるだけ」である。

思えば、この共感力とリスペクトというのは、何も外部のコミュニティだけでなく、社内の協働者に対しても必要な視点だったりする。共感できてなくても、共感できないということを理解した上で容認する。そして、容認される。Googleのプロジェクトアリストテレスにおいて、チームの生産性は「心理的安全性のもとに宿る」なんて話も出たが、まさにそういうことだと思う。パートナーが社外なのか、社内なのか、ユーザーなのか、それだけの話だ。

マーケターというのは社内・社外のパートナーと案件を進め、ターゲットとなるまだ見ぬユーザーのことを考えて考えて行動に移す。そういう生き物であることを期待され、そして実際にそういう生き物なのだろう。

技術の進化やライフスタイルの多様化に昨今の急激な社会情勢の変化、社会の構造や輪郭が激変することが自明な今後においても、人が何かを愛して集まる限りインターネット状に分散しているトライブについては不変であろうから、とにかく自分が「信じられない!!」と思うようなトライブをちょこちょこ覗いてみて、共感力と、文化に対するリスペクト力を育んで行って欲しい。

なんか真面目になっちゃった。でもほんとうにそう思うんだよね。

なんつって。