みなさん、おつかれさまです。

hello、Tokyo。

涙、流してますか?どうも高橋です。

 

深夜のオフィス、さっきコンビニに行くために外に出てみたらちょっと肌寒く、ちょっと雨が降り、人は全く歩いていない、大変静かな雰囲気でした。

rainy-tokyo

これはオフィスからみた夜のTokyoです。いまこんなところで一息ついてます。

そんなときにどうしても聴きたくなる曲があります。

 

ケツメイシの『涙』です。

とにかく音がシンプル、なので流れるような歌詞がとても刺さります。

とにかく音がシンプル、なのにたまった疲れや気疲れを優しく洗い流してくれるかのよう。

 

しんどい時はありますし、そういうときは別に泣いたっていい。

止まない雨もなければ、明けない夜もないし、終わらない涙だってないわけです。

ただひとつ、涙が終わるとき、人は顔を上げ、立ち上がり、もしかしたら新しくまた歩けるのかもしれません。

 

このPVも泣かせますね。

喜怒哀楽のなかで、唯一、自分では創出できないのが哀、そして涙。

思えば喜も怒も楽も、日常においては数多くあるのですが、哀だけはなかなか出会う機会が少ない。感情として、溢れる閾値が低く、涙を流すトリガーになりやすいですよね。

 

だからこそ、人はこんなにも弱く涙を流すし、泣き止んだとき、なぜか少しスッキリしているのでしょう。

 

人に傷つき、時にムカつき、自分の弱さに気づき ズキズキする胸の鼓動を押さえる感情論を 唱えだすことで、こらえたところで、答えは壊れた心で。

泣いて、泣き疲れるまで。湧いて涌きあふれ出てくるだけ。

目にいっぱいに貯め込んだ涙と引き換えに、

この機会にまた一つずつ、強くなりつつ、

古い靴脱ぎ捨て、歩いてゆく。

 

 

涙の本質は、溢れた感情、そして癒しと洗い流し、そのあとに少し強くなって、また歩み出す。だからこそ、こんなにも人の感情と密接に、そして美しくあるのかもしれません。

 

明日からも、少し強くなってまた頑張りましょう。

 

 

なんつって。