「世界の果てってどうなってると思う?」

「すごく遠くにあるんだと思う。」

「はたしてそうかな?」

「どういうこと?」

「たとえばこの世界が、裏返った袋だとする。その時、袋の外側は、袋の内側の中にあることにならないかい?」

 

 

夏という季節は魔性だ。子供の頃に夏休みという冒険期間を過ごしたからか、大人になっても夏には冒険や物語を求めている。やたら小説が読みたくなるし、旅行にも行きたくなる。新しい体験をしたくもなる。

 

そんなこんなで2018年8月17日に公開となった『ペンギン・ハイウェイ』という映画を観てきた。

原作は”夜は短し歩けよ乙女”や、”四畳半神話大系”、”有頂天家族”などの森見登美彦さん。

楽曲提供はまさかの宇多田ヒカルさん。

小説が文庫化されているのだけど、まだ読んだことはない。それでもトレーラーやポスターのクリエイティブから伝わってくる爽やかさとかすっきりした印象が気になったので行って観た。

 

結論から言うと、めちゃくちゃ最高だったので、夏が終わる前にもう一回観たいくらいだった。

熱が冷める前に、気になったところや気に入ったところをまとめておく。

 

ペンギン・ハイウェイはどんな映画だった?

 

あらすじはこちら

小学四年生のアオヤマ君は、一日一日、世界について学び、学んだことをノートに記録している男の子。利口な上、毎日努力を怠らず勉強するので、「きっと将来は偉い人間になるだろう」と自分でも思っている。

そんなアオヤマ君にとって、何より興味深いのは、通っている歯科医院の“お姉さん”。気さくで胸が大きくて、自由奔放でどこかミス テリアス。アオヤマ君は、日々、お姉さんをめぐる研究も真面目に続けていた。

夏休みを翌月に控えたある日、アオヤマ君の住む郊外の街にペンギンが出現する。街の人たちが騒然とする中、海のない住宅 地に突如現れ、そして消えたペンギンたちは、いったいどこから来てどこへ行ったのか……。ペンギンヘの謎を解くべく【ペンギン・ハイウェイ】の研究をはじめたアオヤマ君は、お姉さんがふいに投げたコーラの缶がペンギンに変身するのを目撃する。

 

ポカンとするアオヤマ君に、笑顔のお姉さんが言った。
「この謎を解いてごらん。どうだ、君にはできるか?」

一方、アオヤマ君と研究仲間のウチダ君は、クラスメイトのハマモトさんから森の奥にある草原に浮かんだ透明の大きな球体の存在を教えられる。ガキ大将のスズキ君たちに邪魔をされながらも、ペンギンと同時にその球体“海”の研究も進めて いくアオヤマ君たち。

やがてアオヤマ君は、“海”とペンギン、そしてお姉さんには何かつながりがあるのではないかと考えはじめる。

そんな折、お姉さんの体調に異変が起こり、同時に街は 異常現象に見舞われる。街中に避難勧告が発令される中、 アオヤマ君はある【一つの仮説】を持って走り出す!

果たして、 お姉さんとペンギン、“海”の謎は解けるのか― !?

というもの。

 

実際に観てみてどうだったか?

 

・一夏の冒険、そしてちょっと切ない

・成長していく子供たちと、それを受け止める大人たち

・嫉妬と恋心と研究成果の追求

・雑誌「Newton」好きは見よう。

・ロジックと、情理。合理性と、人間。

・ペンギン可愛い

・勇気でる、そして切ない

・科学と謎解き

・作画と音楽による夏っぽさがすごい

「おねショタさいこうだ」という声もあれば「女性の性的搾取だ!」みたいなわりとエッジきいた叫びもあったり、「おっぱいおっぱい」という物質崇拝な感想もあったりだけど、個人的には小気味がよく、すっきりとした冒険物語だと感じた。

おっぱい成分はそれなりにあったけど、そんなものよりも大きくて気になる謎が全面的に出てるので、そっちに興味がいった。人により優先度はいくつもあると思うけど、なんというか、いわゆるSFジュブナイルモノで、楽しめる反面背筋の伸びるところでもあるので、夏恒例にしてもいいかもしれないくらいによかった。

 

ナゾは残る。だから良い。

原作を知っている人、あるいは森見登美彦さんの小説を読んだことがあれば、「あ〜そういう系ね」となるかもしれない。

この話、主人公のアオヤマくんの言葉を借りれば「へんてこなこと」が起こるわけだが、そのナゾが最後に完全解明されて、「はいはいめでたしめでたし」にはならない。

やっぱりいくつかのナゾは残る。「結局何だったんだアレ」ってなる。けど作品が終わる頃にはもうそこには何もないし、作中はもちろんそれらを探るために目まぐるしく物語が進んでいく。とても爽快。

「結局なんだったのか」は、観終わった後に感想や考察の交換会をすることで埋めるのが良い。むしろここまでの導線が美しすぎて素晴らしい。

 

この作品のメインメッセージは?

とてもへんてこなことが起こり、それに対して登場人物はぞれぞれの性格や境遇に沿った形で向き合っていく。主人公のアオヤマくんはとても真面目で研究家気質。お姉さんはどこまでも明るく、時にミステリアス。お父さんや大学の先生や研究所の人たち、ほかの同級生、いろんな人たちが出てくる。

そんな今作のメインメッセージ、観終わってからしばらくいろいろあれこれ考えてるうちに、個人的に落ち着いたのが「自分自身のペンギン・ハイウェイを探そう。それを道草しながらでもいいから、着実に歩んでいこう。」というものでした。

 

そもそもペンギンハイウェイとは

ペンギンハイウェイとは、ペンギンたちが海から上がる時に通る道のことを言う。

主人公のアオヤマくんは、町中に現れたペンギンたちのナゾを解くプロジェクトを、ここから「プロジェクト:ペンギン・ハイウェイ」と命名する。

 

「自分自身のペンギンハイウェイ」とは

作中で、ペンギンたちはあるものを目指して町中を行進していく。

最終的にアオヤマくんはある目標を見つけて、きっとその生真面目さを存分に発揮して邁進していくことになる。それが彼自身のペンギンハイウェイ。物語の最後にある、「これは仮説ではなく、僕の信念である。」というセリフにあるように、彼はついに「極端な合理性・科学依存」から抜け出し、人として、ひとりの男としての道を歩み始めたのだと思う。

もちろん作中のほかのキャラクターにも、それぞれ異なる目標や信念に続いていくペンギンハイウェイがあるんだろうし、この作品をみているすべての人に、何かに続くいていくペンギンハイウェイはある。それをいつ、どのようにして見つけられるかは、それこそ個人によりけりだけど、アオヤマくんはこの一夏の「プロジェクト:ペンギンハイウェイ」を通して見つけられた。

また、作品を通して、たびたび彼がうまく表現できなかった「好きと言う気持ち」に対するひとつの学びの経験だったとも思える。素敵。

 

「寄り道も良い。けど、着実に。」

作中では、ペンギンとアオヤマ君をメタ的に対比構造においているような印象を受ける。

どちらも目的に対して足を進めるのだけど、合理性を最優先&最短距離をいこうとするアオヤマ君に対し、ペンギンたちは寄り道をしたり、(彼らにとって)危険とも言える冒険をしていたり、いろんな道草を食っていたりする。

主人公のアオヤマ君にも、作品のなかで出てくるお姉さんとの距離感や、ハマモトさんというクラスメイト(女子)との共同研究や、大学研究所の介入など、様々な寄り道が出てきたりする。それに対し彼はどうしても合理性を優先しがちだったが、場合によっては境遇や大人の力がその障害になることもあり、そのひとつひとつで彼を学習させていたりする。

現実世界においても、道となるペンギンハイウェイが見つかったとしても、そこを最短距離でいけるかといえば、そうでもなかったりする。それでも良いのだと、一番よくないのは「道を逸れることよりも、足を止めてしまうことだ」と言うのを教えてくれていたように思う。

 

大局的な構造は「大きな謎に挑む」ということ

個人的に一番ぐっときたのはお姉さんではなくてここで、少年たちは終始「わけのわからないこと」に飲まれそうになりながら、彼らなりに研究や観測を続けて仮説を出し、検証を続けていく。

実はこの物語の根底にあるのは、この「わからないものに対する姿勢と、その先にあるもの。」なのだと思う。

アオヤマ君の周りにある様々な”研究対象”について、子供はもちろんだが、もう十分に年齢を経てしまった我々も思い当たることがあるんじゃないかと思う。

忙しい、時間がない、メリットがない、できない、そういった言葉で目をそらしてしまったモノや、コト、それらに対して、作中で少年たちはフルスロットルで突っ込んでいく。周りの大人たちも、それを適切な距離感で、温かく見守り、時にサポートしてくれている。

そんな未知への興味や希望、挑戦に、とても優しい世界が広がっていた。

ペンギンハイウェイのキービジュアルはいくつか公開されていたけど、自身が作品を観終わって思うに、ペンギンやお姉さんのそれではなく、以下の「観測ステーションでの日々」なのだと思った。

この作品、いろんなテーマやミステリーは含みつつも、メインストーリーとしては「わからないことに挑戦した日々」なのだと思う。

 

また、ここの大切さは実は子供達よりも大人に一番響くところで、背筋の伸びる思いをした。

わかりきったフリをして生きているけれど、今から”研究”がちゃんとできるんだろうか。

具体的に頻繁に出てきたフローは以下のとおり。

・命名する

アオヤマくんやハマモトさんたちは、わけのわからないものにちゃんと名前をつける。

事実として認め、またそのあと呼びやすいように名前をつける。これは正体不明なものに対峙するときにかなり重要な運用フローのひとつであることは言うまでもない。すごい。

 

・検証する

ペンギンの出現条件や、「海」の正体、ペンギンの正体、断食体験などをとにかく検証する。

これも多くの大人が重要だとわかっていながらに、できてなかったりする基本的な手法で、これをちゃんと惜しげもなくできちゃうのがすごい。

 

・俯瞰する

いくつかの謎がパラレルに起こる今作で、そのなかにいるアオヤマ君は思い悩む。

それをお父さんのアドバイスに従い、一度俯瞰してみることにする。そうすることで現象同士の相関関係や共通項などを整理するためだ。

これも、もはや明日の仕事から意識的に取り組みたいレベルで重要。アオヤマ先生さすがっす。。

 

・挑戦する

そして最後はトライすること。

仮説や、自分たちが思うこと、そして「やるべきこと」をしっかりと遂行する。

とくに物語が進むにつれ、本人たちも不安に思うようなことが多くなってくるけど、そこに勇敢に、ときには大人たちに諭され、サポートされながら飛び込んでいく。すばらしい。

 

その他、受け取った感想

・ノートとペンで描いてみよう。

主人公たちはとにかくノートをとる、図を描く、それらを切り取ったり貼り付けたり、子供離れしたすばらしい研究作法を進めていく。スマホやPCだけみてると、ユリイカ!!(エウレカ)に至らないのだろう。

 

・お父さん流、課題解決のコツ

アオヤマくんのお父さんはたぶん頭がいい。あと海外出張とか行ってるっぽい。

そのお父さんがアオヤマ君の研究をアシストしたり、アドバイスするんだけど、いちいちそれがまとをしっかり射ていて普通に参考になる。

・問題を細かくする

・謎同士の関係性を疑う

・別の課題とすり替えていないか確認する

・行き詰まったら一度全体を眺める

・それでも分からなかったら忘れるまで別のことをしてみる

などなど。

 

・「鏡の国のアリス」を、そういえば読んでいない

作中にちらっと絡んでくる作品、有名だしだいたいのストーリーは知ってるものの、そういえば読んだことないな。という。教養として時間を見つけて読んでおこう。

作中でもちょくちょく出現する「チェス」は、鏡の国のアリスのなかでもキーアイテムなので、そこを結びつけながらもう一度みてみたい。

 

・キーアイテム「チェス盤」と、その裏にある設定

なお、鏡の国のアリスでの手の進め方はこちら。

「鏡の国」におけるアリスの行動はチェスのルールに沿ったものとして描かれており、本作の冒頭にはその点を明示する、キャロルによる棋譜と指し手の解説が掲載されている。

これによれば、白の歩(ポーン)であるアリスは、初期配置(白側から見て左より4列目、下から2列目)で赤の女王と出会い、次の手でルールに従って2枡分(作中では汽車に乗ることによって)進む。そこから様々なキャラクターと出会いながら1手ずつ進んでいき、8桝目に至ってクイーンに昇進(プロモート)したのち、11手目で赤の女王を取り勝利するということになる。

(Wikipediaより)

 

鏡の国のアリスにおいて、「ゲームに勝利する」ということはどういうことか。また一方で、「ペンギン・ハイウェイ」のなかでは、お姉さんとアオヤマ君のチェスが完結しない。

これは、お姉さんがある時点から”自身が鏡の国のアリス”であるという記憶を取り戻したのかもしれない、と思った。お姉さん自身が、そのチェスを進めていくとどうなるのかを、察したのかもしれない。一方で、チェスのチェックメイトを妨げるものはアオヤマ君の睡魔でもあったりするわけだけど、もしかしたら、アオヤマ君もうすうす感じていたのかもしれない。なんにせよ、切ない。

 

・そういえば「ペンギン・ハイウェイ」の原作も読んでいない

これはわりと優先度高めで読みたい。やっぱりどうしても映画にすることで原作とずれたりする部分や、表現が控えめになるところもあると思うので、そこはフルパワーで物語にぶつかってみたいな、と思った。

 

・ソラリスも読んでいないぞ

作者はこの物語を描くにあたり、「ソラリス」というSF小説の影響が不可欠だったと語っている。

〈私〉は地球からソラリス・ステーションへ向かいます。ソラリス・ステーションは、ソラリスという星を観察している宇宙ステーションです。

ソラリスというのは不思議な星で、海のようなものがあるんです。それがなんなのか、まだよく分かっていませんが、生命のようなものではないか、という説もあります。通常の物理法則では考えられないようなことが起こっていたりします。

ソラリスの不思議な現象を調査するのがソラリス・ステーションの役目であり、3人の宇宙飛行士が滞在しています。ギバリャン、スナウト、サルトリウスの3人。それぞれがサイバネティクス学者や物理学者などの専門家でもあります。

https://ameblo.jp/classical-literature/entry-11070782787.html

この小説「ソラリス」における世界観や具体的な描写における構図の多くがペンギンハイウェイにも踏襲されていることが感じられる。

SFとしての名作との呼び声も高く、ぜひ読んでみたい。

 

・ペンギンである意味:陰陽、そして生と死

陰陽とか、生死といった二項対立た太極観に関してメタ的に言及されているというのは追いつけた。ただ、台風の夜に、アオヤマ君の妹さんが泣いていたのが、どうしてもまだ何も繋がらない、わかるような気はするんだけど、あくまで伏線ではなくて、物語が大きく動くことで視点を一つ上のレイヤーに移動させるための導入だったのだろうか。うーむ。

 

 

・気持ちよく生きる、ということをもっと大切にしよう

この物語に出てくるお姉さんがまさにその通りなんだけど、とにかく人当たりがよくて気さくで観ていて気持ちがいい。物語が進んでいくうえで、シリアスさが増していっても、とにかく明るく、あの安定感にアオヤマくんたちも、観ている人たちも救われたんじゃなかろうか。

 

・謎の向こうにある切なさは、思い返すごとに強くなる

どんな映画も小説も、その世界がどんなに精巧に作りこまれており、魅力的だったとしても、読み進めていけば、終わりを迎えてしまう。

このペンギン・ハイウェイももちろん終わりを迎えることになる。そのことを、作中の大人たち、とくにお姉さんはしっかり感じ取っていて、覚悟をしたり、時には弱音を吐いたりしていた。またアオヤマ君も、ある時点で、彼の仮説推理を進めていくうちに、意図せず結末を見てしまう。それは科学的で、合理的な思考から導き出されたもので、少年としての彼の願いや思いとはまた関係のないもの。

ロジックと情理。その二項対立がすこぶる美しかった。

あの終わり方であれば、いろいろなシーンでの彼らの振る舞いに、いろいろな意味が見えてくる。そのどれもが「終わりにしなければならない」という前提のもと、ある種残酷に進んでいく物語の中で小さく抗っているように見えて、でもそれが望まれていないこともわかっていて、めちゃくちゃに切ない。

 

何かに挑戦したという経験こそが、人を育てる

やっぱり、わけのわからないものへの挑戦や、思考、実験などが、人を育てるんだなと思った。

世の中、受けた教育によっては「大人のような子供」を生み出してしまっているのでは、と思うことも多々あるが、この作中でアオヤマくんが体験した一夏のプロジェクト:ペンギンハイウェイは、彼を大きくした。

そしてそれを側からみる立場となった自分たちも、年齢で言えば十分に大人かもしれないけど、たくさんのことを学んだし、思い返すきっかけとなった。

とても気持ちの良い冒険だったと思う。観てよかった。

 

 

一つ懸念として、いやらしさは気持ちいいほど皆無ではあるけど、(小学4年生視点ということで)おっぱい的な表現や描写がちょいちょいあるため、その辺を気にする人ととか、あんまり仲良くなりきれてない女性なんかと観にいくと軽く事故るかもしれないので、そこだけは注意なのかもしれない。

またあるいは、おっぱい目的でいっても、内容のナゾのほうが面白すぎるので、そういう目的では観にいってもそういう養分は満足できないかもしれない。

 

 

なんつって。

 

【参考】

小説『ペンギン・ハイウェイ』映画化、原作者・森見登美彦にインタビュー”少年時代の妄想を共有したい”

https://www.fashion-press.net/news/37739