える しってるか 1 しゅうかん とうこうをしないと
アクセスが 減る。

どうもおつかれさまです。月曜日ですね。そりゃそうだわ。
そうなんです。それ以上でもそれ以下でもなく、いつも見てくださる方々に圧倒的カンシャァしつつ、ただマイペースは崩しません。
というわけで、以前もこのブログでプラットフォーマーの中立性みたいなものを何度か取り上げたように記憶してるんだけども、facebookがどうやら動くかもしれないという話を読んだのでその関連のエントリーとします。

【メディア】Facebookとナパームの少女。‐プラットフォームはオピニオンルールを求められる‐

◆Facebookがコンテンツを作る、の意味

Facebook’s Officially a Media Company. Time To Act Like One
https://www.wired.com/2017/03/facebooks-officially-media-company-time-act-like-one/

 

企業としてのFacebook、そしてプロダクトとしての彼らのニュースフィードは「メディアではなくテクノロジープラットフォームである」として一貫してきたのは、誰でもなくCEOのマーク・ザッカーバーグだったりするわけだが、どうやらFacebookも独自コンテンツを作り始めるのだそう。
言及しているのは米DIGIDAYのこのエントリー。

Inside Facebook’s pitch for entertainment content

・最強の面を優先的にデリバリーに活用する

彼らの動画戦略について、見えている部分においては目新しい何かがあるわけではない。

また基本的に動画コンテンツのデリバリ経路についても特段新しくなく、各ソーシャルチャネルやオンデマンド動画サービス、動画公開プラットフォームに準拠する形で世の中に届ける様子。ただ、独占的かつ限定的にFacebookというある種最強の面を、彼らは優先的にその経路に取り込む。というのが大きいように感じる。

動画を作ろう、という発想にはどの企業も辿りつく。これだけあれこれ騒がれているのだから。ただ動画コンテンツは投資粒度が大きい、制作費がテキストライティングや静的ページの作成に比べるとかさむ。なので手を出しにくい。

さらに言ってしまえば、コンテンツのデリバリーについても考えなくてはならない。作ったところで再生して視聴されなければ何の意味もない。

動画制作には、技術以外のあらゆる検討課題がハードルとして立ちふさがっていたりする。

それを少なくともFacebookという世界最大のプラットフォーム上でクリアできてしまうのは確かに優位だ。

 

・ニュースフィードと異なる次元の収益創出

加えて、彼らは作った動画の中にも広告を組み込む。

彼らのビジネスモデルは、基本的にニュースフィード面にUUを集め、そこに創出した広告枠に対しオークションを発生させ、収益源としている。

彼らは体質的に「広告枠におけるオークションの回数×落札金額」で成り立っている。

しかし、この広告枠、増やせば増やしただけいいものでもない。広告枠だらけのアプリやサービスはユーザーに嫌われる。このギリギリを押さえに行かなければならない。

また、入札金額も単純には上がらない。広告主は、なるべく安く、広告を配信し、売り上げをあげたいと試行錯誤している。

彼らが考えたのは、メディアとしてスペースを設けることなく、動画というニュースフィードと異なる次元に収益機会と可能性を広げる。

という手段だった。

◆Facebookがコンテンツを作ってしまうということ

 

いっぽうで、このプランはいいこと尽くしかといえばそうではない。

彼らは自身が創りだせる”ほぼ無限”の収益白地と、ユーザーを実際に動かすという甘い果実を得る代わりに、プラットフォーマーとして回避し続けてきた「メディアとしての責任」を背負うことになる。
自身でコンテンツを生み出してしまえば、彼らは自身がユーザーに届けるすべての情報と意見について、(たとえそれがアルゴリズムや人工知能によるいたずらだったとしても)説明責任を負うことになる。

最近巷をにぎわすFake newsだとか、クラウド上に存在する専門性のない編集者によるまとめ記事など、コンテンツとしてユーザーとその発信元にやけどを負わす事件は少なくない。
インターネットを使う人々が増え、情報リテラシーが分散し、そこに悪意を持ってマネタイズの機会を見出せてしまうエコシステムは既にある。
Googleがその温床となり、「悪い情報」を配信するプレイヤーとイタチごっこをして長らくが経ったが、いたちごっこで済ませることができたのも、Googleが検索のプラットフォーマーであり、コンテンツプロバイダーではないからだ。

◆プラットフォーマーとメディア

いわゆるキュレーションサービスが「メディア」なのか、「プラットフォーマー」なのか、という議論は日本においてもホットだ。

ちょうど年末にかけて、国内でも検索エンジン最適化の観点からそういう角度で答えを出さねばならない企業とサービスがいくつかあった。

DeNAさんは第三者機関の調査により、”永久ベンチャー”でもなければ、またプラットフォームでもなかった。

LINEさんのNAVERまとめは自身をプラットフォームとして再認知させた。
ちょうど、本日DeNAさんが先日の諸々の件で記者会見をし、第三者機関による調査報告書が開示された。
事業戦略、KPI・KGI、人員体制に戦略の横展開、そしてモラルを失い会社とインターネットメディアの信用を失墜させるまでの注意点、地雷事項。
全てがまとまった宝の山のような資料だ。
メディア事業で起業や独立を考えている人は須らく読まれるべし。

 

発信をして、ユーザーを動かす、という行為には、そのオピニオンに対して責任を持つというトレードオフが生じる。
Facebookはそういう選択をした。

 

たいていは、コンテンツを作り、配信して人を集めてきたメディアがプラットフォーマーになりたがる。プラティッシャー(プラットフォーマー×パブリッシャー)なんてよくわかんない言葉も一時期、業界内で真面目に流行ったり、各サービスの進化の行くすえとして議論されたり検討されたりした。

 

彼らがプラットフォーマーに留まらなかった理由はなんなのか、彼らが見た景色と考えたことは、彼らしか知らない。

宇宙事業や世界的なインターネットインフラの整備、そしてVRに人工知能。間違いなく、彼らの成長戦略にあげられる注力事業との結びつきがあるはず。
どんな世界になるのかな。たのしみたのしみ、

 

なんつって。