おつかれさまです。ハローインターネット。

 

このブログ、何か何かを意識して書いてるわけではないのだけれど、だいたい文字数が3000~5000文字になったりしていて、「すごいね」と言っていただけることも増えたんだけど、個人的には「話が下手だなあ」という自己評価にございます。

なので今年はすごくライトかつカジュアルに書いていきたい。

 

そんな第1弾。

 

◆サマリ:すごい人は100を1にしている。

すごい人っているじゃないすか、世の中。あれってどうすごいんすかね、そういうお話。

 

たとえば、めちゃくちゃでかい組織を作って、その運営やマネジメントをしている人。自分で事業を起こしてイケイケな会社を作って世間を騒がせている人。たとえばハードワークに関する雑誌を読んだときには「天皇陛下のかかりつけの医者」なんて人もいた。

コインチェックという会社は月間の仮想通貨取引の流通金額が4兆円なんだとか。NEMという通貨を不正に持ち出され、その金額は580億円相当。そのうち約460億円については自己資金でユーザーに返却する、とか。そんなコインチェック社の代表はまだ27歳(2018年1月現在)、年下かーーいっつって。東京スカイツリーって400億円の事業らしいよつって。建つんかい、スカイツリー。

 

そんなスカイツリーレベルの話をこなす27歳もいるわけです。すごい。

おなじビジネス人材としては、アマチュアとプロのアスリートくらいの差を感じるわけ。

 

そんな人たちって、どこがどう違うんだろうなというのを仕事やプライベートで感じる機会が多くて、それがなんとなくわかってきたところ。

 

「100を1にしている」ということ。

自戒も込めて感じたことをかいてみることにした。

 

 

・100を1にするってどういうこと?

 

結論から言うと、「超絶圧縮する」っていうこと。

どんな人でも仕事に必要な要素は、フィジカル(行動や作業のための体力)とメンタル(思考や判断のための意志力)の合計だと思っていて、これらにはあたりまえだけど限界量がある。

 

そしてそれは、(驚くべきことに)世の中の人々において、そんなに大差がないという。

超できる人は1日20時間労働で4時間睡眠でいいわけでもないし、魂がすり減るようなハードな意思決定をホイホイし続けられるわけでもない。普通に過労死する。

 

じゃあなんで世の中に「すごい人」がいて、その人たちは「すごい人ではない人」と比べて生産力や市場価値が高いのか。

その答えが「課題圧縮力」なのだと思う。

 

・規模と責任と麻痺の話

 

人間の持つフィジカル・メンタルのリソースの総量に大差がないにも関わらず、その人が生み出す結果にそれ以上に大きな差がつくのはなぜか。

すごい人っていうのは、だいたいすごい量の作業や情報、調整をこなす。普通の人にはできない難易度や、ボリュームだったりする。

普通の人ではできないので、評価が高い。

 

すごい人の仕事の一つに、数字のでかい仕事がある。

5000億円を投資する。1兆円稼ぐ。2万人を雇用する。10年先のビジョンを描く、など、それはいろいろさまざまだ。

 

仕事をしているうえで、時々「自分の生涯年収より大きな金額の判断を行う」ことがある。それはつまり、「失敗したら最悪クビ」を超える何かが待っている。自分だけでは責任のとりきれない判断だ。正解はわからない、それでも判断せねばならず、失敗したり間違えば、自分だけではなく上司も部下も同僚もそのサービスを使っているユーザーも不幸にしてしまうかもしれない。そんな決断をしなければいけないときが、あったりする。

 

そういうタフな意思決定を潜り抜け続け、いまも日常的に行っている人たちは、いったいどういう神経してるんだ…と思って聞いたことがある。

「自分の責任で負い切れない不確実性に対して意思決定し続けるってめちゃくちゃストレスじゃないですか?」と。

 

「うーん、麻痺してんだよなあ多分。マトモじゃできないもんね。」と返ってくるわけである。

 

 

 

◆どうやって圧縮と麻痺を身に着けるのか

自分の人生をすべて使っても責任が取りきれないような重要かつあ難解な決断に対して、人はどのようにして麻痺するのか。

麻痺以前にまっとうな方法としては、「責任所在の分散化」がある。これは責任者を複数置くことで、便宜的に責任を分散させ、「なんとか負える範囲まで縮小する」方法だ。

大企業的なところは結構こういうマネジメントが敷かれていると思う。

でも、この方法は分散するほど周りに人がいない時は使えないし、分散させることで議論が長続きしてスピード感が失われてしまうことも多く、そのまんま大企業病を誘発しうる。

 

そうなったときの一つの答えが「麻痺」なのだそうだ。

 

・相対性を使って麻痺に追い込む

 

一人では背負いきれない決断や決定を「エイヤッ」とやってしまう。そんな通常ではいろいろ気になりすぎるし怖すぎる脳みその動きを、すごい人たちは自身を麻痺させて乗り越える。

 

このビジネス的に麻痺している人に共通するキーワードは、相対性なのだと感じた。

どういうことかというと、つまりは「もっと大きな悩みや課題を持ち、目の前の判断を相対的に小さくする」のである。

つまりは「もっとデカいことに悩み続けている」というスタンスが共通化して見られた。

 

 

たとえば

・より遠くを見る

…自分の会社の10年後を考えねばならない。

→日本は30年後、どのようになっているのか。(そんな時に自分の会社はどうであるべきなのか。)

 

 

・より外側を見る

…創業時から協力してくれていたパートナー企業が離反してしまいそうだ。どうすればよいのか。

 

→世の中の企業間のパートナーシップはどうあるべきなのか。(その理想状態において、今回の関係性にはどんな問題があったのだろうか。)

 

など。

より大きな命題に常に自分をさらすことで、急に発生した目の前の課題を相対的に小さく、圧縮することで「平静を保つ」のではないだろうか。

また、仮にその「より大きな命題」に、なんとなくだけど回答が持てているのであれば、めちゃくちゃデカいと感じていたその判断や意思決定に、なんとなくだけど「判断の輪郭」を持たせることができる。コントロールできる部分とできない部分、想定される最大のリスクと最悪なストーリー、これらがわかるかわからないかの差は精神的に大きい。

 

 

◆1を100にするすごさもあるし、両方持ってるのが望ましい

 

常に自分をより高次で大規模な課題や問いに触れさせておくことで、自分を麻痺させ、おなじリソース量でより難易度の高い問題解決を行うことができるというのは、一つ自分のくせにして普段から意識したい。

 

また、一方で「1を100にする」ことにも同じくらい価値があると思っている。これは、対人関係や接客業などの現場でとても評価される要素だと思う。こちらは逆に「絶対化の方向に麻痺する」のがいいのかもしれない。

 

一人前の大人として、この両方の視点をもっていることが、周囲から必要とされ、自分をより高いステージへと進めてくれる戦略なんじゃないかなあ。より大きなことを課題として持ち、悩み、答えは出なかったとしても自分の「課題圧縮力」を高く保つ、しかしながら小さなことにもなるべく思考を怠らず、気を配る。そんな両面性がある人はカッコいい。

 

この理論でいくと「失敗したので辞任」と言ってる人がとても中途半端に見えてしまうけど、それはほれ、あのー、ね。

 

 

なんつって。