あらためてあけましておめでとうございまする。毎年年末や年始に振り返りや展望を語るという記事の中で、仕事を通してなんとなく感じた自分のマーケティングのトレンド予想や所信表明的なものをあげてるんですが、読んでくださった方々に「今年(2023年)もあれ結構楽しみにしてるんスよ〜」と声かけてもらって、書かざるを得ない状況となりました。ありがとうございます。

ということで早速タイトルにもある通り個人的な観測地点からの展望を個人的に語ります。

結論から言うと、「人が人らしい仕事をした分だけ差が出る世界になってきたね」です。

長いので保存したりしてゆっくり読んでみてください。あと「ここはこうじゃねえ?」とか、「ちげえよ何言ってんだよ」ってのがあったらSNSで感想ください。一時的に泣きますが、その分成長できます(私が)

なんとなく業界全体を覆う「色々1巡したよね」感

自分のキャリアを振り返ると、そろそろ就職をしてから10年くらいになる。経歴としては代理店、メディア、DSPや計測ツールなどのベンダー、広告主、事業会社のインハウスマーケターとして仕事をしてきていて、「なんか色々1巡したな」って感じていて、おそらく2024年もそんな感じなんだろうなと思う。

これは広告やSEO、コンテンツマーケティング、アプリのグロース・集客施策などを俯瞰してみてそれぞれのジャンルで実感するところだ。

自分が1巡したと感じるので、おそらくは10年くらいの単位で「新手法の発見」「注目・バズワード化」「猫も杓子も的な戦国時代突入」「スパミーな手法やビジネスの跋扈」「evilな取り組みの検知・監視」「規制、制限とそれに伴う淘汰」「なんやかんや落ち着いたよね」みたいなサイクルが回っているのかもしれない。歴史は繰り返すし、おれたちはずっと手を替え品を替え似たようなことをしているのかもしれない。

国内のいわゆるマーケティング業界、というものに関わって仕事をしているが、日本の独自傾向が強いと思う点で「新手法の発見」フェーズを広告関係の企業やプレイヤーがしがちというものがある。たとえばこの10年サイクルの中で言えば3rd party cookieなどのオーディエンスデータの利活用、ネイティブ広告などの取り組みなどが記憶に新しいかなと思う。(まぁこれは自身が当時ネット広告畑にいたから、というバイアスも多分にあるかもしれないが)

まぁでもそれぞれもっとサジェストやレコメンデーションといったUI改善とかコンテンツの出しわけによるCRM、コンテンツマーケティングなどの文脈から語られてもよかったのでは、と思っている。(話すと壮大になってしまうので今回は割愛するが、結局それぞれ”もっとソリューションとして残せるものがあったのでは”と思ってる)

この記事のスタンス

2024年単年でどうなるか、という予測はあんまり意味なさそうだし、大変だろうからあんまりしたくないなあというのが個人的なスタンスである。

ここ数年でやはり自分の中で「業界論」「マーケティング論」を語ること自体の意味というものへの疑問は募るばかりだ。プロダクトやブランドのフェーズも課題もそれぞれだし、そのマーケットの構造や顧客のインサイトもそれぞれだ。解かねばいけない問いの発見、そしてそれに対して正しい答えを出し、実行し、成果を上げることがマーケターの価値のすべてであると考えているので、全体論を語るのはどちからというと娯楽やエンタメに近い。(つまり意味は薄いけど嫌いじゃないよってこと)

そもそも自分も「マーケティングやってます」と言えるほど業務がマーケティングに集中してる感じでもなくなってきた。人に話せば「なんだそら」みたいな仕事をしていたりする。特に最近は新規事業のR&Dや立ち上げに呼ばれることが多く、マーケティングに閉じず非定型な動きが多い。

それに個々人で見えている景色も全然違うというのが自分の思想の根幹にあるので「誰からみても正しい全体論」を作ることは、たいへんだ。(無理じゃなさそうだが、だとしても)

ゆえに、そんなことはせっかくの休みの日にやれるレベルで書いてみたって感じになっていて、それくらいのユルさで書いているということを念頭に楽しんでいってほしい。こういうテーマで飲み会とかすると本当に盛り上がるので、そういうのは好きだ。呼んでください(土下座)

というわけで、免責もしれっと済ませたことだし、思いついたことや最近聞かれたことを書いていく。

プレイスメントへの投資強度って改めて大事

本当にさまざまな紆余曲折を経て、結局ここに立ち返ることが多いんだけど、現時点でもまさにそんな感じになりつつある。クリエイティブやインサイトを突く精度はもちろんなんだけど、外部への投資という観点で言えば、結局プレイスメントが一番大事よな、という気持ち。

個人向けのターゲティングがどんどん難しくなっていくというシナリオはもう今更祈ってもどうにもならないし、そもそも市場の原理として、マーケティング手法も商品(プロダクト・ブランド・サービス)も、時を経るごとに増えてきて、コモディティ化していく。

商品設計において、マーケティングの観点からすると「差別化」「唯一性」といったモートがあってほしいところだけど、人類の生活様式や思想の幅に限界があるのであれば、そこに最適化した商品は必ず「似たようなもの」に収束していく。商品だけでなく、マーケティングの手法だってそうじゃんね。上手くいけば横展開される、競合がやっていれば自分達もやりたくなる、やってもらえるならと代理店や媒体も案内をする。この構造は仕方がない。やるべきなら、やらなきゃいけないんだから。

とにかく結局、「人が見るところに在る」ということを叶え続けなければならない。これは広告といったフォーマットに限らず、自分達の商品を売るためにと考える際に、重要な出発点の一つとして、今年もより有力性を上げたなあと思う。

どこで目にされるべきか、どういった時に目にされるべきか、じゃあどこに露出されていればいいのだろうか。この考え方に立ちかえることで救われる業界人も多いのかもしれない。

リテールメディアってくるの?

面の話があったので、ついでに。

めちゃめちゃ失礼なことを言うと、微妙そうじゃない?いや、多少はアドオンにはなると思っている、完全に新しい面なので。これは間違いない。ただ、広告主目線からするとやっぱり「新しい広告枠が見つかりました」という話からまだ次の段階は見えていないと感じていて、媒体としてビジネスチャンスがあるのは間違いないが、広告主としてはその取り組みにおけるインクリメンタリティがどうしたって気になる。(それを目にする顧客は店にはきているわけだし)

そういう増分のテストとかってやられてるんかね?広告の表示機会が増える話ではあるので、そりゃ媒体側(店舗側)は美味しいと思う。広告主が乗るかどうかは、競合状況とか訴求したいプロダクトのポジショニング、ユーザーのインサイトの理解などを通して結構慎重にやったほうがいいんじゃないかな、と思った。

インストアや会員データの外部活用という範疇だけでなく、リテール媒体の持てるすべての顧客接点に売り上げ最大化のロジックで掲出していくのであれば、ちょうど10年くらい前にちょこっとブームとなったパブリッシャートレーディングデスクのそれより、さらに大きい統合基盤やその開発が必要になってくる。そういうのに強そうな会社はいくつかあるし、やろうと思えばきっとできるんだろうなと思いつつ、もう少し継続的にウォッチしたいテーマではある。中の人なんかはめちゃめちゃ詳しいんだろうし、重々承知なのだろうと思いますし。

そしてこの動き、ぶっちゃけ会員基盤の持ち方に規格がない(いろんなところからふわっと話を聞いた感じ)ために、おそらく外部ベンダーがツール提供して一括でバーン!は無理だと思う。少なくともハンズオンで伴走して作るんだろうね、とか、中途半端にコンサル入ったりJV作ったりして火傷しちゃいました、とかないといいなあと要らぬ心配をしてみる。

プロダクトプレイスメント頑張りてえ

 面関連の話ではもう一つ。プロダクトプレイスメントはかなりやりがいがありそう。最近はネットフリックスやプライムビデオ、youtubeオリジナルなどで動画コンテンツサプライヤーも増えてきたし、それ自体は媒体が増えてきたことをそのまま意味するし、ユーザー側から見てもデバイスやインターネット回線の普及など、動画視聴する環境は整ってきている。

さらに言うと、こうしたコネクテッドなコンテンツへの出稿は、ネット広告と同様にさまざまなデータを持って企画検討、評価ができる。こういったポイントも広告主としては嬉しかったりする。取り組み自体は結構パワーがかかるものの、割と上手くいくものについては馬鹿にできない結果を残したりするので、できるところから事例などを一緒に作っていきたいな、と思う担当も多い印象。

IP活用やコラボレーションによる面拡大活用したい

さらにプレイスメントに関連して。IP活用やコラボに関してはハードルが高いものの、ハマればインパクトがでかい。こちらも企画段階に相当パワーを使うタイプの取り組みだ。こういうのを間借り先の文脈や世界観を壊さないように、商業性とうまいところのバランスを取り込んで提案できる代理店とかプロダクションとか企画会社とかあったらいいのになーと思う。

その一方で、なるべくインハウスでこの辺の嗅覚を持っておく必要もあるんだろうな、とも思う。人材要件的には化け物レベルの出来の良さが必要だと思うので、これはもう縁があることを祈るしかないが。

Cookieless化について

またまた面がらみなのでついでに。昨今、とにかく温度感の高いコチラの件。色々と大変だがサービスの強み弱み、マーケット、顧客のセグメントによるなあと思っている。大丈夫なところは意外と大丈夫だし、そうじゃないところはどうしたらいいんだろうね。っていう。

幸い、自分のところはそこまでめちゃめちゃ痛いことはなさそう。いまのところ。これは出稿している広告施策のポートフォリオだけでなく、事業全体の施策別収益シェアなどでみるのがいいなじゃないかな。いろんな業態はあれど、ひとえに(意図的かにはかかわらず)過去にユーザーの中にうまいこと認知資産を形成してきたか、で道が分かれている気がする。

認知資産がしっかりあって全然平気そうなところもあるし、やばいところもある。現状のポートフォリオ次第だが、目先のROASやROIを気にしすぎて、サステナブルな購入習慣や商圏の形成をやってこなかったところに、ツケとして帰ってきそう。まさかすぎるよね。

会社やプロダクトとしてはしんどいが、今後は「そう言うのも大事なんです」って言える材料ができたのは、一部のマーケターを喜ばせるかもしれない。目先のKPIはしんどいかもしれないけど、腕の見せ所ですねえ。

MMMはやっておかないといけないぞ

上記のターゲティングに関する話として。MMM(marketing mix modeling)はやっておこう。やる機会はなくても、仕組みなど語れる用意は必須だと思う。今後必修になってきそうなので、マスプロモーションに手が届く規模感のサービスを担当しているなら、分析担当経由でもいいので触れるor喋れるようになっておくのはマストだと思う。戦術としてもやっぱりマスプロモーションは盤面をひっくり返しうるくらいのインパクトはあるため、状況によっては積極的に社内に起案が必要なことも出てくる。

最近、DMMさんのデータアナリスト組織の中の人がMMMに関するドキュメントを公開していた。すばらしい取り組みだと思う。

https://inside.dmm.com/articles/data_analyst_mmm/

MMM、かなり細かい内部の事情などをモデルに要件として落とし込んで作り込んでいくのでなかなか外に出せる情報が少なく、それも相まってMMMという領域自体があまり世の中のマーケティング担当まで浸透していない要因なのでは、と思っていたりする。

上記のDMMさんの記事でも紹介されているが、仕組みなどについてはこちらの博報堂さんの資料なども必読。

https://www.hakuhodody-media.co.jp/aaas/news/mmmguidebook.html

Googleさんの読み物媒体、thinkwithgoogleでも取り扱われている。

https://www.thinkwithgoogle.com/intl/ja-jp/marketing-strategies/data-and-measurement/marketing-mix-models-guide/

MMMに関わらず、「上手くいった事例」などの読み込みでポジティブ&新鮮な気持ちを摂取することも一定意味はあるものの、これらはそのサービスやマーケットの解像度が意思決定に大きく影響するので、手法や仕組みについてまず理解を深めるのがいいと思ってる。無駄なバイアスはなるべくないようにして、取り組みたいのでむしろ他社の参考事例などは触れない方が精度が上がる可能性すらある。

そういえばTV在庫もようやくプログラマティック化したね

おめでとうだね!10年かかりました。(クソデカ老人ボイス)

いやでもほんとにすごい話なんすよ。めちゃめちゃ大変そうだったんだろうな、とは思っている。技術的にというのも一定あるけど、それよりなんというか、権力構造というか、既存の商習慣との兼ね合いというか。

https://www.ntv.co.jp/info/pressrelease/20231127.html

これがちゃんとワークするとして、そうするとやはりマスメディアへの敷居は各社下がる(下がってもまだ高い、とかはあるかもだけど)とは思っていて、そういう文脈でもここの評価などをどのようにやるのか、というのはかじっておいて損しないと思うんだよね。

めちゃめちゃ細分化・複雑化していく現実世界と人々の暮らし

いかんせん動画環境やクリエイターの伸長により、顧客や生活者の価値観や好みなどは細分化に限りがない。年代別に切っても、性別や居住区で切っても、職業で切っても人々は千差万別だ。安直な傾向化や集計でも、一番大切な部分は見えてこないことの方が多い。これらをトラッキングしつくす方法なんてあるのかな、たぶんない。

一つ対抗策というか、頼れるものがあるとすれば、UGCだろう。つまりは生活者自身にいじってもらい、広げてもらう。ただこれが許容できる企業体質にしておく必要があり、大体はそこで骨が折れすぎてそのまま帰らぬ人になる。(経験則)

帝京平成大学の中の人、どういう気持ちなんだろマジで気になる。

購買力・決済権のシフトもそろそろあるよね

マスメディアから一方的に情報や視点を受け取っていた世代の「次の世代」が一定の購買力や決済権を持つ時代になってきた。それは上記した、比較的インターネットやモバイルデバイス、SNSなどを介した生活に慣れている層なのである。ちょっと前までは、そこに向けてなんかやってたりすると「ヘェ〜〜!!!おたくは進んでますねェ!!」みたいな感じだったが、いよいよそこが労働力や購買力としてのメジャー層になってくる。

なのでこういった層に向けてのコミュニケーション戦略(クリエイティブとかテイスト、スタンスなど)が試される時代に入っていくと思ってる。答えはまだねェ!!!\うるせェ行こう!!帝京魂!!!

とはいえ、それだけじゃダメな話(商圏サイズとの戦い)

とはいえそれだけでは商圏が広がらない構造に陥るリスクもある、ここは悩ましいね。特定の層に向けて濃いめのスタンスを打ち出すと、それ以外からはあまりウケなくなってしまうというリスクもある。そうすると商圏がスケールしない、つまるところブランドやサービスが大きくならない。

やはり我々、売上や利益を作ってナンボであるので、ここをはいそうですかと大人しく飲みにくい。そうなると結局、薄く広く知ってもらってなんとなく買ってもらう、という「マーケティングでしたっけ」みたいな状態になったりもしてしまう。これも受け入れ難い。

一方で、スモールビジネスなどは商圏をあえて狭くすることでビジネスの世界観やメッセージをよりビビッドに保ち、生き続けるという方法を取ったりもする。デカめ法人とか、株主様がいらっしゃって、右肩成長以外ってなんかあるんすか?^^みたいなところだと、この策を取るのは難しい。

最終的に、日清さんのやってるような、「複数のトライブに向けてはそれぞれに複数の濃いコミュニケーション施策を取る」がいまのところはいいのかな。それ自体に体力は必要そうだけど、そういう心配をするってことは、そういう規模のサービスってことだよね、と。

色々すっ飛ばして「そもそも良いものを作る」が専ら超大事

ちょっと昔までは「そんなこと言ったら元も子もないやんけ、なんでも売ってこそマーケターや!」と生意気ぶっこいてたんですが、最近の自分としては「売れるもんそもそも作ろうや」の極みである。そのためにマーケティング的なアプローチが必要なケースが多かったりするし、やったことない要素・手法が必要なのであれば、一から勉強してきた。

構造としては上記もした通り、マーケティングの方法が高速でコモディティ化している昨今において、「モノがよくない」ということがとにかくめちゃめちゃ足を引っ張るからだ。それはマーケティング投資を一度絶って修復してもおつりがくるくらいじゃないかな。世の中や構造を出し抜くあれこれは今やどんどん整理され、融通が効かなくなっている。真面目にやるのが一番コスパいいシーンも多い。

マーケターのキャリアとしても、「(適切に)商品に口出しをする」ことはプラスに働くはずだ。ものごとを改善する経験はなんぼあってもいいですからね。(マジで)

感動体験の設計

上記した通り、プロダクトやブランド、サービスが提供する機能や世界観といったレベルでよくあるべきという話はありつつ、マーケターが仕込める仕掛けや取り組みもまだまだある。まずは感動体験の設計だ。感動体験というのは、「サービスを使ったことによる成功体験」とも言い換えられる。そのサービスやブランドが顧客に提供したかったものを、顧客が実感するタイミングのことだ。

ToCもToBも一緒で、やっぱり早く体験させて、顧客の生活サイクルに入り込むことが大事だ。「あ、いいじゃん」を早めに味わってもらうことで、まずは顧客の生活に存在することが許される。そうなればあとは情報の流通経路拡大によるチャンスもあるし、利用回数や、感動体験の回数などのエンゲージメントを重ねていき、「そのジャンルの1番手として居座り続ける」のだ。

ユーザーのサービス、ブランド参加の設計

まだある。昨今とにかく個人情報やターゲティングソースが活用しにくくなる、という話はしたが、正直これらの有用性自体は変わらない。あるといいよね、というものだ。それらを利用可能な状態で集め、施策に反映させるという取り組みは、正当な進化の方向性のひとつだと実感している。

個別のユーザーの状況や、情報を取得し管理するというのは、たとえばコミュニティマーケティングとか顧客のヘルススコア管理など一部の理想論として語られがちだけど、技術的には可能なことが多い。あとはやるだけ。ふぁいてぃん。(自戒も込めて)

生成AIの活用について

もはやこのテーマに触れないと情弱扱いされてまう。そうでなくてももちろん触れるが、当たり前にやろう、である。別に無理して施策に活かさなくても業務に取り込むことで組織の生産性は上がるし、その分当然だけど人がやるべきところで差がつく。理想を言えば(生成AIの活用に限らず)プロセスを自動化・ないし半自動化シフトさせるような担当を1人組織や会社に置いておきたい。そもそも、生産効率が低いということは、組織やマーケティングの活動にとって大きな問題ではあったが、生成系AIの出現により、もはや明確な「競合劣位要素」となるレベルにきたと思っている。

経営リスクとしての「生産性の低さ」

フローが非効率であることは、つまるところそのプロジェクトやタスクの管理期間が長く、管理期間が長いということで後続フローなどに対し制約や制限を発生させる。そしてこれがまたプロジェクトの長期化を招き管理工数の倍化を誘発しつつ、実行までに時間がかかることで試行回数の減少をもたらす。

試行回数の減少は、従前の事業計画を守るという前提と相まって施策1つあたりへの依存度を上昇させる。そして「失敗できない」ことがさらに失敗しないための無駄な確認や社内政治を増やし、結果としてさらに試行回数を落とすというヤバいスパイラルをもたらす。

ユーザーの生活様式や勝ちパターンが複雑化していく競争環境にある事業において、試行回数の減少はかなりリスキーだ。予測、検討では勝てない時代に来ている。

アウトプットのクオリティはまだ人間優位かも

一方で、こちらはまだ生成系AIに任せっぱなしはできないな、という領域。たとえば広告代理店のサイバーさんが、デザイン組織を大幅カットしたりなどの話はあれど、個人的に広告やキャンペーンのアウトプットはまだ人力による企画・ディレクション・生産管理が必要なレベルだと感じる。

https://xtech.nikkei.com/atcl/nxt/column/18/02466/052600002/

権利周りに関してもそうだし、やっぱり諸々のめんどくさい系のチェックや承認ゲートを加味すると、人間に動いてもらう方が手戻りが少なくてはやい。

一方で、代理店に任せている広告運用やそのクリエイティブの管理については、確かに「別に人が付きっきりじゃなくていいよね」であると思う。まぁROIというか、評価基準の考え方によるものだったり、顧客とのコミュニケーションパスのなかでのシェアなどにより、「まぁ質よりは量だよね」ってものもあるし、上記の記事ではそういう分野の話をしていると解釈している。

まとめ

いろんな方向からワーワー言いましたけど、要は以下ですね。

「人が人らしい仕事をした分だけ差が出る世界になってきた」

今回取り上げた話や取り組みというのは、どちらかというと「テクノロジーを用いて云々」という話ではなく、企画力やインサイトの把握具合、そしてビジネス的なアジャストメントといったケイパビリティが強く求められるものが多かったなあと今自分で読んでみて感じた。

もちろん、いろいろな業界や分野で日夜さまざまなアップデートが盛んに走っている。ゼロパーティーデータ、リテールメディア、SGE(Search Generative Experience)、広告用IDとAds DataHub、カスタマーエクスペリエンス(CX)、アプリ集客結局どうすんの問題、コミュニティマーケティング、XとThreads、ARM構想によるTV枠のプログラマティック化などなど。

ただそのどれもがやはり「何らかのための手段」であることは変わらない。マーケティングも手段である。日夜行う意思決定も手段。そういうところは変わらない。

ジェネレーティブなAIだったりツールだったりで、マーケティングに関わらず世界中の多くの職能はこれまでのものからゆっくりと変化し始めた。人事評価などに返ってくるのはいつかはまだわからんが、組み込まれるのもおそらくそう遠くもないし、そもそも個々人の生産性が上がるのであれば、使わない理由はない。

その一方で、2023年に自分が気になったポイントをざっと眺めてみると、人がいかに人らしい仕事をするか、というテーマに有機的に繋がってる気がしてきた。特に企画段階や座組みを設計するということの重要度が、(これは自分のバイアスによるものなのかはわかんないけど)上がってきていると感じる。

その背景には、トライブやコミュニティ・文脈の細分化、そして手法のコモディティ化がある。

自分も2023年はまあまあの時間を仕事にブチ込んだゆえ、多少なり今回書き上げたことが現代の生活感や商業感を反映しているんじゃないかな、と思う。

なんかワーっといっぱい書いたのでこれで許してもらおう。

今年もよろしくお願いします。

あと、お仕事あったらください。よろしくおねがいします。

なんつって。