はいどうもおつかれこんばんちは。めちゃめちゃ久しぶりだよね、わかってる。

最近は各年末に振り返りしかしないマシーンになっちまっていたけど、まぁまぁ仕事も落ち着いてきたわけだし、一方で考えてることはいっぱいあるしなので、ここにまたメモっていくことにするよ。

今日は上記した「新聞ぽい見た目を与えたら、簡単にヤバそうなフェイクニュースの素材ができあがっちまったぜ」というもの。これはほんと個人的にはめっちゃ興味深い話だったのでちょっと喋りたくなってしまった次第。

元になったのはこのTogetterのまとめ。

https://togetter.com/li/2269989

メディアの本質は「フォーマットと継続的な顧客接触」

新聞(っぽさ)を見た目だけでも取り繕うことで新聞に近しい説得力が捏造できてしまう可能性が高いという話を受けてどう思ったか、個人的には「じゃあそもそも”メディア”と呼ばれるものの本質ってなんなん?」となった。

メディアの本質というのはコンテンツではなくて「特定のフォーマットで継続的に読者に接触していること」が第一義だよね、という最近の個人的な仮説。

コンテンツの質、思想、傾向は結局その次(ただ、これらはディストリビューションの文脈で接触頻度にヒットしうる)で、現在インフルエンサーとか個人メディアが新しいフォーマットの開発・発明に躍起になっているのもこれ由来と理解している。(コンテンツはぶっちゃけ作家制作でそれなりに数字取れるよな、ってのが相場になりつつある)

トンマナや中の人感、「味」などと言われるものはどちらかというとそれ自体がフォーマットなのである、というのがもしかしたら周囲とは少し異なる捉え方となっているのかもしれない。

多くの場合はこれらを「コンテンツ」として処理するのかもしれないけど、個人的にはコンテンツというのはそこに表現されている情報の質という観点で個々に判断されるほうが現代の情報社会に合ってるんじゃないか?と思うし、どの記事や内容からも「同様に滲み出て訪問者に届く」のであれば、それはもうフォーマットなのだ、と考えている。そもそも流通経路が多様化・細分化しすぎているので、コンテンツというのはアップロードされたそれぞれのパッケージごとに見るのがいいんじゃないかという思考プロセスだ。(SEOの世界でもドメインからURLへ評価の体系が変わる流れもあったし)

インターネットでの「遊び」とフォーマット、そしてネットミーム。

もう一つ同時期に一緒に気になったネタに、「フリーレンミームがあまりに増えすぎている件」がある。これも同様にTogetterさんのまとめで目にしたものだ。

https://togetter.com/li/2266132

「ネットミーム」とは

インターネットで調べものをしていると大体こんな説明になる。

インターネット・ミーム英:Internet meme)とはインターネットを通じて人から人へと、通常は模倣として拡がっていく行動・コンセプト・メディアを指す専門用語である。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%8D%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%9F%E3%83%BC%E3%83%A0

マジでなんのことかわかんないよね、自分も逆にこんな説明されたら自信がなくなる。簡単に言えば、「ネットでいじられがちなネタ」のことだ。直近で言えば「なあぜなあぜ?」「犬系彼女」「ひき肉です」、古いもので言えば「ドナルドのウワサ」「ゲッダン」「もっと熱くなれよ」「タピオカパン」その他諸々など。これはこれで何を言ってるのかわからねえと思うが、なんつって。

バキな童ことぐんぴぃさんのチャンネルでこんなことをやっているので、時間があればみてみてもいいかもしれない。

【ネットミーム総選挙】レジェンドが続々と降臨!最強ネットミームがついに判明!【20位〜1位】

フリーレンミームについて取り上げたりもしたので多少引っ張られるけど、Tiktok(メディアに関わらず、ここではクリエイターエコノミーとしてのTiktok界隈、としたい)はフォーマットの発明・開発が集まりやすいプラットフォームで、とにかく新陳代謝がヤバく、だから面白いし”メディア”(プラットフォームではなく)として廃れない。(うまい仕組みを作りやがったものよ)

Tiktok Out of phoneで「っぽさ」をマネタイズに転用

ちなみにそのフォーマットをマネタイズのため輸出しようとした展開がこのout of phoneに通ずるところがあるとも思っている。

https://newsroom.tiktok.com/en-us/introducing-out-of-phone-tiktok-beyond-the-mobile-screen

つまること「tiktokのフォーマットを使っていいよ広告」だ。(しかも自社の広告在庫を圧迫しないように屋外の広告在庫に接続している、本当に商売がうまい)

「メディアのフォーマット(情報の見た目・トンマナ・世界観含む)みたいなものは刷り込みによって時として掲載されている情報にプラスアルファの影響をもたらす」と個人的には思ってる。これはマーケティングの観点で、プロダクトのデザインはもちろん、サイトやコンテンツマーケティングによる情報発信、ヘルプデスクの対応、社外では飽き足らず社内のチーム文化や組織風土まで、自分がこだわる理由になっている。

彼らもそれがわかっているのか、中の人ではないので定かではないが、Tiktokはいい意味で「あの」(音符がブルブルっとする縦型動画の)フォーマットや世界観を売りにしてきたわけだね。ぶっちゃけこれ単体での効果計測ってかなり難しいし、国内市場で多くの場合指標として掲げられているダイレクトレスポンス(広告から直接的に購入や予約、登録がされるものだけを評価するマーケティングの考え方)ほどの効率は厳しいだろうなと思うものの、人が情報として認識するまでの入り方としては結構良さそうで、認知指標(想起や感情ファネルへの意欲意向)には結構効きそうな予想をしている。

このOut of phone、配信対象はビルボード、映画館、その他デジタルサイネージとのことだけど、ぶっちゃけ出る面はSSP繋ぎ込んだらどうにでもなるし、ディスプレイなアドテクソリューションとしてはターゲティングやCO(機械学習による効果最適化)といったUU数とデータ・最適化周りが勝負な領域。ここはいわゆるBigTech(Google,meta,microsoft,apple,amazon)+αが幅を利かせていたわけだけど、膨大なUUやコンテンツ閲覧データと滞在時間、そして情報フォーマットという独自性を武器に染み出してきたのは非常に面白いと思う。そういうビジネス、現時点で広告が強いプレイヤーにはほとんどなかったからね。

閑話休題。

インターネット史上の情報社会における登場人物の変化

ここ最近のソーシャルメディアやマーケティングに関連する情報社会におけるステークホルダーを整理すると、以下の人々で構成されていると考えている。(同様の整理はofftopicさんから仕入れました。超同感でした)

コンシューマー

いわゆる「利用者」であり、「一般生活者」。彼らは圧倒的な数の力で市場を作ったり、そこに流通するお金や時間を生み出す。また、彼らは彼らの持つ時間やお金、時にはソーシャルなシグナルでコンテンツやキュレーターを評価することができる。これらが資本主義の現在においては重要な資源となり、時には事業の目的となる。

キュレーター

大量の情報の中から思想や価値観、世界観に合わせて情報をピックする人たち。彼らの周囲にはスタイルやモード、文脈が生まれ、コンシューマーにフォローされたり、自分達自身をメディアにトランスフォームさせたりする。

クリエイター

文字通り、コンテンツやムーブメントを作り出すもの。アーティストという生き方に分類されることもあるが、コンテンツ視点では彼らは一般的にクリエイターとされる。後述するRemixer(リミックサー)とは違い、彼らはアレンジではなくゼロからコンテンツを生み出す。また、その創作活動自体にブランド価値やメディア的な価値がつくことが多い。

変革者:Remixerの登場

この整理において、Offtopicのmiyatakeさんは上記のように語っている。めちゃ同感である。つまるところ、それぞれのステークホルダーは、それ単体の機能だけではなく、機会・機械の民主化によりそれぞれの重なった部分にも滲み出し、その活動の人格には新しい登場人物として役割が定義されようとしている。

そのなかでも今回の話に関連が強いのが、Remixer(リミックサー)だ。彼ら(クリエイターとコンシューマー)はインターネット登場前史では最も距離が遠かった。しかし、インターネットというのは「面白いものを流通させる」性質がある。ゼロからコンテンツを作り出すことはできなくても、クリエイティブな編集や組み合わせで「面白い」を作るアプローチを手に入れた。それが動画であればcapcutのような「動画制作の民主化」によってかもしれないし、それが静止画であればiphoneの編集ソフトやCanvaといったアプリケーションかもしれない。音声も、写真も、編集はすでに民主化されていて、SNSといった発表の場もある。

Remixはすでに始まっている

それ自体を生業としなくても、時折光る瞬発力があれば、インターネットはそれを拡大再生産する。“切り抜き”、みなさんも見たことがあるでしょう?クリエイターとは違い、リミックサーは作られたコンテンツが一人歩きすることが多い。アカウントが紐づかない分、コンテンツは身軽に流通し、そしてまたそこでRemixされる。

さらに強力なのが、この「編集対象」には時間的な制約がない。今後とも、基本的にはNow or Naverではないのだ。昭和レトロ、懐メロ、すずめの戸締まり見ました?「さよならと〜言った君の〜気持ちはわからないーけどー」ってTiktokで最近よく聴くよね。そのためインターネットやデジタルメディアに保存されているIP、クリエイティブ、作品の全てがリミックスの素材となる。(法的案アレコレはあるかもだけどね)

話が相当逸れてしまったが、重要なポイントは、「そんななかで、”メディア”とは何者なのか、何者であるべきなのか」だ。

With-Remix時代のコンテンツマーケティングやオウンドメディアの行く末

このブログを読んでくれている人には、筆者と距離感の近しい仕事や分野を専門にしていたり、興味があるという人が多いと思う。(たぶん)

その前提で言えば、一定「コンテンツマーケティングが」とか、「オウンドメディアがですね」みたいな話をする人も少なくはないと思っていたりする。

この話をもって、それらの人ってどうすべきか?個人的にはこれは好機の一つとして語れると思っている。

我々は何を作っているのか

世の中にはリミックサーなんて人が出てきた。ディープフェイクも怖い。GoogleもBingも生成系AIだ、SEOは終わるのか?我々は何を作ってるんだ。となるかもしれない。

けど、冒頭の方でも掲げた通り、自分としては以下の仕組みは存在すると思っている。

新聞(っぽさ)を見た目だけでも取り繕うことで新聞に近しい説得力が捏造できてしまう可能性が高い

これは、「っぽさ」が評価されているという、れっきとした”証拠”なのではないかと思っている。新聞ぽいから騙されるかもしれない、新聞っぽいから危険そう。TVのニュースの動画とかも信じちゃう人がいてやばそう(すでにあるんですけどね)

そうです、この「っぽいから」を我々は作っているんですよ、違いますか!?!?!?(どーん)

基本的に(事業会社の中でのプロダクトマーケやPdMとして)コンテンツマーケティングを応援する派なのでそう言ってるんですが、でもそうだと思うんですよねえ。

メディアやコンテンツが編集、拡散される時代の生き残り方

生成系AIが登場するもっと前から、この話は実は始まっていて、ここ最近で最もインパクトがあったのって何かで言うと、「編集の民主化」「発信の民主化」なんすよ、と。そう考えると遅かれ早かれこの話題は20年近く前からあったのかもしれない。生成系AIは、それらのクオリティを引き上げた、というものであって、今回はそのクオリティの引き上がり方が、新聞というメディアの信用残高をフリーライドすることで「ガチモン」になっちまったという話です。

こんな時代のなかで、じゃあメディア事業者やコンテンツマーケターはどないしたらいいかというと、(厳密には自分も今実験段階ではあるんですが)以下の2点とか大事なのかなと思ったりしていいる。

オフィシャルであることにアイデンティティを置く

情報発信がカオスということは、受信もカオスなわけで。コンシューマーは別にフェイクニュースなどを取り込みたいわけではない。(シンプルに損したりするので)

なので自分達がオリジナルかつオフィシャルであるということを今まで以上に書くメッセージや発信に込めてあげるといいのかなと思います。またあるいは、あえてこれらのRemixerとの付き合い方を真っ当にしてあげるとかね。Youtuberの切り抜きチャンネルへのスタンスなどもここ2年くらいで結構変わってきた印象がある。任天堂さんのゲーム実況に対するスタンスとかもそうだよね。

性善説をベースにしたオーディエンスに向き合う

ネットに悪意はある。SNS(某元Twitter)があんな様子じゃん。アテンションベースでタイムラインをいじろうとすると、よくないニュースや儲け話になっちまう。これはもうしょうがない。いまのインターネットはトラフィックを換金するモデルで回っている。

なのでタイムラインのアルゴリズムより強いコミュニティとしてのエンゲージメントを確保するしかない。しゃーない。基本的に、ブランドとのエンゲージメントやフォロワーシップは単一のプラットフォームやソーリャルメディア外で管理することを勧めたい。ここにきてメルマガ、別に全然アリだと思うけどね、実際効率がめちゃめちゃ悪いってことそんなになくない?って感じです。(比較の仕方次第だとは思うけど、工数・生産性・人件費まで含めたROIでみんな見てる?って思う)

さぁ、頑張ろうぜ

オマエは今日もどこかで、不器用にこの日々ときっと戦っていることだろう。

軽く筆を取ったらこんな長文になってしまったが、思いの丈をぶち込んだ結果であり、一緒に頑張るすべての人に、特にコンテンツやメディア界隈の人に、「こういうことがあったけど、俺らはたぶん曲げないで頑張っていくべきなんよ」ってメッセージが届いたらいいなと思います。

引き続き、今日よりちょっと良い明日をみんなに届けるべく、がんばっていこうよな。

全人類おつかれ安眠大納言!!!(特に意味はない

なんつって。