世の中、いろいろあります。

 

やっていいことと、やっちゃいけないことがありますが、時々やっちゃいけないことをしてしまう人たちがいたりしますね。やってほしくないなあ、ダメなのにみんなやっちゃうなあ、と思ったとき、あなたならどうしますか?

 

禁止することは簡単だが、それは本質的な解決にはならないという話をします。

 

※看過すべきでないが、理解できなくはない業界の構造のため、目をつぶっていることも数多あります。が、書きました。

◆電通の就業制限

広告業界の雄、電通。ここで社員が就業時間を大きく超えて働いていた、という事実が発覚した。それにより尊い犠牲になってしまった社員もいたり、広告業界にとどまらず、「バレないから大丈夫」だったこの国の労働生産性に関する問題が大きく話題となった。

その矢面に立たされた電通は、構造的な策として「22時以降の業務を禁止する」という施策を打った。

 

電通の石井直社長が全社員に緊急メッセージ 22時に全館消灯

 

 

◆その結果

 

上記の策により問題は解決しただろうか。残念ながら、そして半ば当然ながら単純に禁止しただけでは解決していないようだ。

全館一斉消灯を開始以降、朝5時から電通館内に多数照明がついているとされ、夜の一斉消灯のあおりで一部社員が朝5時から早朝残業を強いられている可能性が指摘されている。

※ただしソースがnetgeekさん。

※ちなみに電通としては「早朝から清掃業者の方に入館してもらっている都合、とのこと。普通にそうだと思う。

 

電通、夜一斉消灯でも朝5時点灯?朝残業説を電通は否定…社員は「面倒で迷惑」と不満

 

◆なぜ、禁止しただけで問題は解決しなかったのか。

本件に関して、理由は3点あると思う。

◆課題の特定はしっかりやる

まず、今回の問題が騒がれている理由と、その根本的な要因の特定について。

そもそも「長時間労働」が根本的なイシューなのだろうか、という点。

もちろん、「法外で身体に影響を来すレベルでの長時間労働」は問題だ。としたときに「労働時間を禁止事項により減らす」ことは本問題の解消に機能するだろうか。

今回のケースでいうと、しない。

なぜなら、現状が「長時間労働が許可されているので長時間労働している」という状態ではないためだ。

各所で議論はされているが、広告やインターネット産業といった業種の特性として根本的な問題が存在している。代理店というポジションのため、上司や会社と同じくらい”逆らえない”クライアントという存在があり、利害関係的に縛られている状況が発生していた。

 

 

◆感情的な理由と構造的な理由を考える

上記にも関連するが、感情的な理由と構造的な理由についても熟考せねばならない。

人間は合理と情理で動く。

わかっていてもやめられない。ということが存在する野と同じように、やりたくないけどやる。といった動き方もできる。

感情的には長時間働きたくない、それを後押しするような「働いてはいけない(≒働かなくていいよ)」を施行したとしても、それは構造的な要因の排除には至っていない。

つまり、「嫌だけど働かなくてはいけない」という状況に対して機能するメッセージや施策が必要だった。(もちろん、めっちゃ難しいので中の人たちは分かっているに違いないが。)

 

感情を持った人間の管理において、この視点を欠くと驚くほど他人を動かすことができないし、一方で合理と情理に正確にアプローチできれば、調整や交渉ごとは大変スムーズに進めることができる。

 

◆禁止事項をMECEに敷く

禁止した内容にも穴があったと思う。つまり「残業は夜間にしか存在しない」という点だ。

正確に言うと22時~5時の間の就業禁止、なので、朝5時以降であればこのルールには触れない。そこを突かれた、形になったのだと思う。

正確に社員の労働時間を制御したければ、(世の中の声を借りれば)もっと禁止時間に指定する時間を増やすべきだったのかもしれない。

(そしてここに、ホントに労働時間を減らしてしまうと企業として機能できない、という背景も透けて見える。)

 

◆でもやっぱ禁止はイケてない

自分自身もいわゆるマネジメントという業務に携わる者として、いくつか思想や哲学的なものはある。まだまだ全然ぴよぴよなレベルだけど。

そのなかで大事にしているのが、「禁止するということは最もセンスがない管理ルール」であるということ。

自分自身、禁止することももちろん、禁止されることも大嫌いなので、他人には絶対に強いたくない、というのが感情的な理由。

また、加えて言えばメンバーやリソース、機会の持つポテンシャルを最大化するには、「禁止する」ことはそれらの制限であり、毀損であり、あってはならないと思っている。周りの人たちには、ポジティブかつ正確に目的にアプローチしてほしいし、それができる環境や文化、体制、雰囲気作りがマネジメント業務なのだろうと思っている。

 

「許可を得るな、謝罪せよ」という言葉もある。効率化を極めると創造性を欠く

電通に関していえば、必ずしもそういうビジネスモデルではないのだけど、人間の本質は妄想とその創造にあると思っているので、価値創出をとりまとめるにおいて、この観点はいつまでも大事にしたい。

 

◆もっとほかの方法が必要だったと思う

自分も以前の職場で月に300時間オーバーの労働とかを経験していた元おしごとだいすきマンなのでわかるんだけど、今回の就業時間規制は、「仕事しないことが自分の時間を過ごせる=いいこと」と企業側に定義されていた取組だった。

 

ただ、本物の社畜の恐ろしいところなのだが「働きすぎて働いていない時にやることがなくなる」「緊張の糸が切れて職場復帰できないのではないか、という不安に駆られて休めない」ということが本当にある。ほんとに。

趣味みたいなものが本当になくなってしまい、家で何をしたらいいかわからないから、とりあえず出社する、みたいなこともあった。

 

なので、仕事を”取り上げられた”という表現すら聞こえてくるかもしれない。

 

あの施策には、「休んだ時に楽しめる提案」も必要だったと強く思う。

ワークライフバランス、なんて言葉は「ワークイズライフ」な人たちには通用しない。彼らのワークを規制しても、No Lifeになるばかり。

それくらい、「働きすぎる」ってヤバいんです。

 

 

◆でもでも、やっぱあの判断はやっぱり正しいと思った

 

かえすかえすで申し訳ないけど、「22時消灯」のあの判断は、「根本的な解決」にはならないけど、「暫定処置」としては大変に正しかったと思う。

あまりにショッキングな事件がゆえに、世の中に対して、「わかりやすく対策する姿勢」が求められていた。

そもそも、この労働時間や労働環境の問題は、電通一社ではどうにもならないし、そもそも長く続いたこの”鬼の電通”の風土を変えていくのには時間がかかる。

そんな時に、会社の信頼と価値が失墜する前に、わかりやすくスタンスを示すには、この方法しかなかったんだろうな、と思う。

彼らの体質改善が、表面的なテヘペロで終わらないことを祈ってやまないです。

 

 

なんつって。